──────────────────────────────────── | 知恵市場 ☆ 2000.10.15 | g - e s s e n c e | エッセンス ☆ 合計発行部数 759部 | | ES1064 ☆ (B-mail=163:Nifty=596) | | ¥200 ☆ http://chieichiba.net/ | ──────────────────────────────────── g-essence 064 環境問題を一点突破する ──────────────────────────────────── ■多重性に苦労するか、1点突破するか ■「緑の革命」という環境問題 ■浄水設備と出会う ■山梨県高根町農協 c o n t e n t s ■アグロ・フォレストリー ■技術をゆっくり使う ■自信を取り戻す農民 ■ヤシ殻でつくるヘッドレスト ■何もできない日本人と、アマゾン大浜村の農民 ──────────────────────────────────── text by paco/渡辺パコ ──────────────────────────────────── 今回は、「アマゾンの畑で採れるメルセデスベンツ」という本を種本に、環境問 題の多重性について考えてみたいと思います。この本はもともとSurfriderさん が教えてくれた本で、僕もだいぶ前に読んでいたのですが、なかなか奥の深い本 なので、僕自身、ここまで「勉強」が進んで、この本についてようやくまとまっ たことがいえるようになったと言うところです。 本のショルダーには「環境ビジネス+社会開発|最前線」と添えられており、帯 の部分に「世界に冠たる高級車メーカーの内装材は、アマゾンの僻村の、使用済 みココナッツだった!」とあります。タイトルとこのふたつの説明でこの本の内 容はほぼわかってしまうのですが、こういう「ストーリー」だけにとどまらない、 奥行きがこの本の魅力です。 ──────────────────────────────────── ■多重性に苦労するか、1点突破するか ──────────────────────────────────── 本のテーマは「環境ビジネス+社会開発」なんですが、僕はここからもう一歩進 めて、「環境問題の多重性」、というより"多層性"といった方がいいのかな、多 層構造について考えてみたいと思います。 環境問題は非常に複雑な要素が絡み合っていて、多くの場合、あちらを立てると こちらが立たず、という状況になり、問題解決をあきらめてしまいたくなること が多いものです。たとえばCO2の排出を押さえようとして火力発電所を止めると、 単純な代替案は原子力発電所になります。しかし原発はCO2は出さなくても、処 理の難しい放射性廃棄物が出る。じゃあということで、バイオマス、つまり植物 を育てて燃料にしようとすると、今度は食糧(穀物)生産が不足してくる、といっ た具合。ひとつを押さえるとほかに問題が出てきて、前に進めないと言うことが よく起きるわけです。 この、環境問題の宿命ともいえる現象は、一方では取り組みの難しさを意味して いるわけですが、本当に難しい側面だけなのか? われわれはモグラたたきのよ うな問題つぶしに終始せざるを得ないのか? という問いが出てきます。 これに対して、アマゾンとメルセデスベンツの関係は、ポイントを押さえて取り 組むと、逆にイモヅル式に問題解決が広がりはじめる、という可能性を示唆して いるように思います。 8月号の「グリーン経営の本質」で僕は「レバリッジを効かす」という表現をしま した。レバリッジとはテコのことで、1か所をうまく押さえると、軽い力で大きな 影響を与えられると言うことです。ではこのアマゾンとメルセデスベンツの中に、 どんな物語が隠されているのか、見ていきましょう。 ──────────────────────────────────── ■「緑の革命」という環境問題 ──────────────────────────────────── アマゾンをはじめとする熱帯途上地域がおかれている現状を知るためのひとつの 鍵が、「緑の革命」とその失敗です。緑の革命は1960年代から試みられた農業革 命で、僕らの世代なら「プランテーション農業」という言葉で受験勉強にも出て きました。 プランテーションは、主に熱帯地域のジャングルを切り開き、そこにココヤシや コーヒーなどの輸出用作物を植えて、途上国を一気に近代化しようという開発戦 略でした。今回の舞台である「畑」のあるアマゾンの「大浜村」も例外ではなく、 熱帯雨林を切り開いて、ココヤシ農園に変わった。これを主導したのがカトリッ ク宣教師と教会です。教会は布教目的でアマゾンに入り、神の言葉を借りながら 住民を扇動し、プランテーションで単一農業をはじめました。鬱蒼とした熱帯雨 林に変わって、20メートル間隔で植えられたココヤシ。住民たちは農園の労働者 となり、トラクターに乗ってココヤシのあいだを耕耘して回り、化学肥料と農薬 をまき散らした。計画は当初はうまくいきました。ココヤシはたっぷりと実を付 け、収穫したココナッツはやし油などの原料として輸出され、村は潤い、カトリッ ク教会は村人の上に君臨したのです。 僕らが社会科でプランテーションを習ったのは、この時期です。「プランテーシ ョンで近代的な農業が進められ、発展途上国の人々の生活は近代化しました」と いうように記述されていたと思います。アメリカとソ連は覇権を競い、人類は月 をめざし、米国の富は宣教師たちの手によって熱帯雨林に運ばれてプランテーショ ンを作る金になった。プランテーションで豊かになった途上地域の人々は、アメ リカの富に裏打ちされたドリームに酔ったけれども、一方アメリカは農民が手に した金で農薬と化学肥料を買わせて、しっかり投資を回収していたのでした。 しかし夢は長くは続きませんでした。15年もしないうちにプランテーションのや しの木は、つける実の数を4分の1以下に減らしていったのです。原因は、化学 肥料と農薬によって地力が落ちたことがありますが、もうひとつ重要なことは、 トラクターで耕耘することで、熱帯の薄い表土をみんなひっくり返し、土地がや せてしまったのです。熱帯雨林は、そのイメージとは裏腹に、表土が薄く、植物 が育つ土が簡単に流出しやすいのです。熱帯では微生物の活性が高く、植物の葉 などがたちまち分解され尽くしてしまい、有効な養分が土に残留しにくいのです。 その薄い表土をトラクターで深く耕し、そこに農薬と撒いた。微生物は死に絶え、 一方化学肥料を大量投入するには莫大な資金が必要で、減り続ける収穫では買う ことができなかった。 プランテーション農園で働いた農民たちは、70年代後半〜80年代初頭に一気に貧 困に陥り、村を捨てて都市に集まるようになります。途上国の主要都市は軒並み 農村から出てきた人々で埋まり、周辺部にスラムができていった。前回の g-essence「補完通貨」で登場したクリティバ市の郊外にスラムができたのも、こ のような経緯の末です。 熱帯雨林の消失、プランテーションの荒廃、都市のスラム化(都市環境の悪化) という環境問題が、一気におこってきた。僕が高校までの教科書で学んだのは、 このような問題が噴出する直前のところまでで、だから僕にとってはプランテー ションがこういう経緯をたどって環境問題に転換していったことを、今になって はっきり知ることになります。 ──────────────────────────────────── ■浄水設備と出会う ──────────────────────────────────── プランテーションの一時的な成功で教会が実質的な自治政府と化し、農民は物事 を決めるのにいちいち教会=宣教師に伺いを立てるような、従属した関係ができ てしまった。その中で住民が困窮し、都市に移る人々が増え、崩壊の危機にあり ました。 しかし、この絶望的な環境の中で、ひとつの技術がもたらされます。舞台はアマ ゾン川下流の中州(といっても九州ほどの広さのある中州らしい)の島にある大 浜村。「プライヤ・グランジ」という村の名前は、そのまま訳すと大浜となるの で、本書でも大浜村と呼ばれています。人口は200人。 村が困窮を極める中、最大の問題は保健衛生でした。衛生状態が悪くなり、浄化 しない井戸水を飲むため、慢性的な下痢症状、水場にボウフラが発生してマラリ アが流行、この結果、乳幼児の死亡率が上がるという悪循環でした。 ここに、地域特性を活かした「浄水設備」の情報がもたらされます。ブラジルの 大学がはじめたこの浄水設備は、実にシンプルなもの。太陽電池で電力をおこし、 食塩を混ぜた水を電気分解する。ここでできた塩素で水を浄化するわけです。太 陽電池は小規模なものでも十分で、原料は食塩だけ。構造がシンプルなので、メ ンテナンスや原料調達も住民の手で行うことができました。 住民は、隷属的な関係になりつつあった教会の意に反して、この浄水設備の提供 を大学から受けます。この瞬間が、ひとつの転換点になりました。 教会の権威は、落ちかけたとはいえ、大きいものがあったでしょう。その教会が 浄水設備に難色を示した。教会は宣教のルート(アメリカ資本の寄付などの資金 によって)からプランテーションと同様、効果で高性能の最新浄水説を取り寄せ るから待て、というようなことを言ったかもしれません。それも「紙の言葉」と からめながら。住民が教会の意思に逆らうようにして浄水設備を導入する決断と いうのは、どれほど勇気が必要だったでしょう。 ──────────────────────────────────── ■山梨県高根町農協 ──────────────────────────────────── さてここで舞台は山梨県の農協。時は2000年10月。僕は牧草の種が農協にあるら しいという情報を聞いて、うらぶれた農協のカウンター越しに見える30代かなと おぼしき男性に声をかけました。 「牧草の種はこちらにありますか?」 「予約か何か?」 「いえ、特に。こちらにあるんじゃないかと聞いたもので」 「ちょっと担当を探してくるので……」 といって外に出て、向かい側の倉庫のようなところに入っていきました。少しし て戻ってきて「今来ますから」と言い置いて、自分のデスクへ。 そこからが……何も起きない。何も起きない。目の前にときどき人が来ては用を 済ましてかえっていく。くだんの職員もときどきパソコンに向かったりしている けど(DOSみたいな黒地に緑の画面だった)、何も起きない。10分経過。15分経 過。わけが分からず、 「あのーすいません、どうなってるんでしょうか?」 「……」無言でそっぽを向き、うしろの島のおじさんとひそひそ話。引き出しを あけてファイルを探したり、と思ったらいきなり立ち上がってまた向かいの倉庫 に。戻ってきた。また自分のデスクで仕事を始める。何も言わない。うしろの上 司らしいおじさんも何も言わない。カウンターの向こう側のおねえさんもおじさ んも、10人以上の人が何も言わない。20分経過。 僕はその間、退屈しのぎにこの農協の改革案を20ぐらい考えていました。 「あのおおおおお、牧草はどうなったんですか?」 大きな声で聞いたら、くだんの30代氏がびっくりしたように立ってきて、 「今担当がいないので……もうちょっとしたらもどる……」 「いないなら改めます、あとで電話してみますから」 「……」 「こちらの電話番号は?」 「47の……」(口頭で) 「あ、書いてください」 (あれこれメモを探して、ようやく電話番号を書き) 「担当の方の名前も書いておいてください」 (大きめのメモ用紙だったらしく、わざわざ折り目をつけて手できれいに切って から渡してくれた) 波師匠ならここでなんというか!!!ぜひ同席してほしかったけど、山梨とNYで は仕方ない。要するに、来訪者を客とは思ってなくて、イレギュラーな事態にま ったく対応できない。しかも、そこら辺にいる10人以上の人が誰も! 運悪くよ そ者に声をかけられた人をおそるおそる見てる。 ヒラメ組織・農協。固着しきった組織を目の前に見て、ただただ現実を納得した 僕。それに比べて、アマゾン大浜村の200人の勇気はなんだろう? 神の言葉に 近い教会の意志に反して、自分たちに必要なもの(浄水装置)を自分たちで決め、 手に入れ、健康を手にした。その成果は、彼らに大きな自信と自治の意識をもた らしたはずです。大浜村の200人は、緑の革命ともプランテーションとも決別し、 新しい村づくりに取り組みます。 ──────────────────────────────────── ■アグロ・フォレストリー ──────────────────────────────────── 浄水装置をもたらした大学の研究者たちは、新しい農業を提案しました。ココヤ シの木のあいだにバナナやレモン、イネを植えるというものです。農民は乗り気 ではありませんでした。ココヤシのあいだをトラクターで耕し、教会主導で届く 化学肥料を撒く暮らしに慣れきっていて、いまさらクワをもって耕し、時間のか かる木を育てるなんて! しかし結局彼らはこの提案を受け入れました。トラクターを降りてクワを入れ、 イネや豆を植えた。その横にバナナ。 イネや豆は数か月で実をつけ、まず村人の空腹を満たしました。3年ほどすると バナナの木が大きくなり、バナナは売って現金を得ることができた。5年目には オレンジやレモンが実をつけ、生活を潤し、ブラジルナッツも成熟し始めた。収 穫量の落ちていたココヤシも次第にたくさん実をつけはじめた。 この農法は、実は古代から続くアマゾンの農法でした。20メートル四方ほどの土 地に、4本のココヤシを頂点に次第に低い植木を植えていく。バナナのような収 穫の早い木が育つまでは米やマメを、バナナが十分大きくなったら、オレンジや レモンなども植えて、収穫の幅を広げていく。高い木が効果的に日陰をつくり、 強すぎる日ざしを遮って若木の成長を助け、多彩な植物によって土地が肥え始め、 害虫や病気にも強くなった。 緑の革命以前のアマゾンは、以前は、人の住まない原生林と考えられてきました。 しかし研究が進んでくると、その3分の1以上は、実は人間が住み、アグロ・フォ レストリーのやり方で育ててきた林であることがわかってきたのです。 広大はアマゾンの多くの部分が、実は人間が2000年に渡って改造した人工林だっ た。すごい話だと思いませんか? 人間はアマゾンのダイナミックな自然を活か しながら、それを人間にとって有利なように組み替え、一見原生林と変わらない ように見えながら、効率的に食べ物を供給できる「農地」に変えていたのです。 しかもその農地は、持続可能な農地だった。欧米的な価値観では「後進的」に見 えるその農業は、実は科学がもたらした「緑の革命」よりも、少なくとも持続可 能性という面で、はるかに優れて実績のある農業だったのです。 なお、アグロ・フォレストリーは、単純な過去の模倣ではなく、過去の方法の要 素を分析し、効果的に運用できるようにしたリファイン版です。 ──────────────────────────────────── ■技術をゆっくり使う ──────────────────────────────────── 山梨の農協がカバーする地域も、典型的な「稲作/里山」の地域です。人々は地 形をうまく利用し、ちょっとした尾根のふもとに堤防をつくって、ため池をつくっ た。ため池から低地に向かって水路をひき、水路の両側に水田を、水の届かない ところや家屋敷のまわりに畑を、尾根の部分に雑木林をつくって、3種類の土地 利用を組み合わせたわけです。雑木林はほっておくとテカテカした常緑の葉っぱ の木、照葉樹の林になってしまいますが、人々は山に入って林を管理し、コナラ やクヌギが育つようにした草を刈った。これら雑木は成長が早く、15年程度でし っかりした薪を供給したし、春や秋にはきのこや山菜を生み出した。 人間は八ヶ岳山麓の標高1000メートルの高原からアマゾンの熱帯雨林まで、土地 にあった植物利用の方法を考え、自然を改造し、管理して来たのです。今僕らは、 地球の自然を、まるでもともと地球にあった自然だと考えがち。だからこそ、 「人間が自然を保護するなんておこがましい」というような意見が出てくるので すが、実はこの認識は正しくない。人間は地球全土に広がり、自然を改造し、自 然を利用して生きてきた。人間は知恵を結集して原始の地球の姿を変えて造り上 げたのが、今の地球だと言うことを知る必要があります。 その意味で、科学技術の粋を集めて始まった緑の革命、プランテーション農業も、 アプローチは決して間違えていなかったはずです。人間がずっと自然に対してや ってきたことと同じアプローチでした。ただひとつ、緑の革命が間違えたのは、 あまりに急激に、大規模にそれをやってしまったことでしょう。僕たちの祖先は、 もっとゆっくり自然を改造してきた。技術が不足してそれほど高速に改造できな かったことが幸いしたわけです。今、僕たちはやろうと思えば非常に高速に大規 模に自然を改造できるようになったけれど、だからといって人間の、自然に手を 加えるやり方の知恵まで、一気に進歩していたわけではなかったのです。 改造する技術に、知恵が追い付いていない時代。そのギャップが、環境問題の本 質だということがわかります。だとすれば、環境問題解決のもっとも効果的な方 法はふたつあると考えられるでしょう。 (1)科学技術が可能にした自然改造の速度、規模をフルに使ってはいけない (2)自然改造の知恵が技術に追い付くまで、技術をゆっくり使う パワーシャベルは森を数日で切り開いてしまうけれど、森は数十年かからないと 再生できない。この速度差を、人間は意図的に理解した上で、技術を使わなけれ ばいけない時代に入った。別の言い方をすれば、20世紀は、子供がチェーンソー を使い出してしまった時代だった、と考えることもできます。 ──────────────────────────────────── ■自信を取り戻す農民 ──────────────────────────────────── さて、アマゾン大浜村。 大浜村の農民は自信を取り戻していきました。農民の相談役であり指導者である 大学スタッフはこういいます。 「農民たちが水の問題で大学に助けを求めたとき、おそらく農民自身が持ってい る力、もともと持っている知恵を働かせればよいのだということに気づいていな かったんだろう。問題というものは、神や政府や技術者が解決するものだったか らね。彼ら以外の誰かがね。だが大学と連絡をとって、どこの家にもある水と塩 で飲料水の浄化ができることを知った。自分たちで水道を引き、きれいな水を維 持管理できることを知った。自分たちに問題解決の能力があると知ったことが、 大きな転換点になったんだ」 こう語るスタッフ自身が、実は20年間、緑の革命を指導した技術者であったこと を告白します。 「農薬は害虫を駆除する薬とだけ教えられて、だったら、と規定の10倍も使った。 人体や環境に害があるなんて、ほとんど教えられていなかったし、批判的に見る 力も失っていた。それだけ緑の革命が輝いていて見えたから」 どうでしょう? 大浜村の人々と今、希望が見えずに足をすくませている日本人。 どっちが賢い生き物でしょう? 彼らは水の浄化をきっかけに、「自分たちに備 わっていた知恵」に気づき、先に進みはじめた。僕らはまだ自分たちに備わって いる知恵とその力を見失ったまま。 しかし、かつて緑の革命の指導者だったスタッフ自身、凝り固まった考えの問題 点に気づき、アグロ・フォレストリーに取り組み、村を復興させることができま した。 「どんな頑固な技術者も変わりうるという見本みたいなもの」 と自らを笑います。 そしてこういうのです。 「今は、自分の力や創造性をすっかり確信していて、自分が創造力を疑うことす らできない。でもあの当時、自分たちが、緑の革命で起きた問題点をなぜ長い間 放置していたのか、変えられないと思いこんでいたのか、今となってはうまく説 明できないんだ」 ──────────────────────────────────── ■ヤシ殻でつくるヘッドレスト ──────────────────────────────────── さて、ここまで来てようやく、メルセデス・ベンツです。いま大浜村の人々は、 椰子の実のからの繊維から、ベンツの内装材をつくっています。やしの堅い繊維 を水につけて、自分たちが改造したシンプルな機械で繊維をほぐし、加熱して成 型し、生ゴムを吹き付けて、ヘッドレストの完成。ほかにも内装材や防音材に使 われています。 メルセデスベンツのブラジル工場(サンパウロ)は、ドイツ本国以外では最大規 模の工場で、まずここで生産されるトラック(ベンツはトラックの世界的な規模 のメーカーでもある)、乗用車の内装材のほとんど、それに一部本国での採用も 始まっています。 大浜村の若者は、椰子の葉を吹いた屋根の、風の通る工場で働き、現金収入を得 ています。彼らは仕事に誇りを持ち、また自分たちの生まれ故郷を気に入ってい る。街に行きたいという気持ちもあるけれど、いずれは必ず戻ってきたいと思う。 電気が止まると工場は操業できず、ベンツ工場への納品も止まってしまうけれど、 ベンツには多めに在庫をもってもらうことで、トラブルを防いでいます。アマゾ ンの農村の工場でつくられたものとはいえ、品質管理に妥協するベンツではなく、 その要求水準に見合うものがつくれるからこそ、対等なパートナーとして扱われ ているのです。 ではなぜメルセデスはこのアマゾンのプロジェクトと対等なタグを組むことにし たのでしょうか? そこにはふたつの大きな動機がありました。 ひとつ目は、湾岸戦争。ベンツはイラクに武器を大量に売っており、湾岸戦争の 時に国際的な非難を浴びた。特にドイツ国内の悪評は強く、傷ついた企業イメー ジを逆転するために、「見栄えの良いプロジェクト」を探していました。アマゾ ンの僻村と手を組むというプロジェクトは、成功すれば、企業イメージアップに 貢献するという判断がありました。 ふたつ目は性能。やし殻のヘッドレストは、石油からつくられるウレタンよりも 吸湿性がよく、しかも低コストでした。 ここに環境問題に対応した自動車造りという時代背景が加わります。石油系の素 材なら、リサイクル対応にも専用のしくみが必要ですが、やし殻と天然ゴムとい う大浜村のヘッドレストは、そのまま自然に帰る素材であり、環境対応にも優れ ていたのです。 このような条件がそろい、大浜村のやし殻でつくられるヘッドレストは、ブラジ ル製メルセデスのみならず、ドイツ生産のクルマにも装着が検討されていると言 います。さらにメルセデスベンツでは内装材のほとんどの部品を、天然素材由来 のものに切り替えつつあり(これらは大浜村のものではないにせよ)、環境対応 を含めた総合評価で、内装材の100%を天然素材、もしくは天然素材を含むもの になってきています。 ──────────────────────────────────── ■何もできない日本人と、アマゾン大浜村の農民 ──────────────────────────────────── さて、今回の旅も終わりに近づいてきました。 旅の出発点は、緑の革命に失敗した大浜村の農民が、水の浄化装置の導入を自ら 決める、というところから始まりました。 技術主導の「革命」が環境と生活を破壊した。その解決を自ら決めた住民が、水 に自信を持って、古くて新しい農業「アグロ・フォレストリー」に挑戦し、さら にメルセデスベンツと組んで、高性能、低コスト、環境対応の内装材の開発に成 功した。 農業が変わり、ライフスタイルが変わり(都会に出なくてすむようになった)、 自動車生産に環境対応が持ち込まれた。 大浜村の小さな一歩は、地域を超えてほかの村にも広がり、大西洋を超えて世界 のトップクラスの自動車メーカーに大きな影響を与え、その企業の環境対応を加 速しています。 その一方で、目の前の農村の変化に、何もできずに立ちすくんでいる日本の農協 がある。彼ら農協職員の目の前には、日本人が2000年以上に渡って改造してきた 持続可能な自然が広がっています。そしてその持続可能な自然は、一見100年前 と同じように見えつつ、一歩中に足を踏み入れると、ぼろぼろです。 まず雑木林が壊れた。ちょっと奥にはいると、コナラもクヌギも間伐されず、細 くて、立ち枯れています。倒木が多く危ない状態です。水田は農薬と化学肥料で 地力が落ちている。そしてその改造された自然を維持し、育んできた人間は、若 い世代が街に出て、スラムのような狭いマンションを法外な値段で買い、「何も 変わらない」と、自治意識どころか選挙にも行かない。 それを目の前で見ながら、何もできない日本人と、アマゾン大浜村の農民の、な んとクリアな対比でしょう。 最後に、このストーリーは、本当に、「1点を持ち上げればみんな持上がる」よ うなハッピーエンドの、レバリッジが効いたストーリーなんでしょうか? 本当のところ、答えが出るにはまだ時間がかかるでしょう。メルセデスが内装材 に使う大浜村以外の素材は、もしかしたらプランテーション化を加速してしまう 可能性もあるし、価格面で低コストを追及するあまり、途上地域の住民に不利な 価格を押しつけ、彼らの自立を妨げてしまうことも考えられます。 しかし、少なくとも「ひとつを押さえたら別のところが問題になる」という関係 は、回避できた。ここに、僕らは希望を見いだすことができるのではないでしょ うか。 20000.11.15 paco/渡辺パコ paco@suizockanbunko.com ◎参考文献 「アマゾンの畑で採れるメルセデスベンツ」 泊みゆき+原後雄太 著 築地書館 1500円 ──────────────────────────────────── ●エッセンスの転載については、知恵市場までお問い合わせください。 paco@suizockanbunko.com 知人(個人)へのエッセンスの紹介を目的としての転載は、1号限り、全文を 送っていただく場合に限り、特にこちらに許可を取らずに行ってかまいませ ん。ただし登録せずに受け取った人がさらに別の人に送ることは認めません。 ──────────────────────────────────── end of Chieichiba Essence (c)Chieichiba & Suizockanbunko inc. 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