──────────────────────────────────── | 知恵市場 ☆ 2001.02.15 | g - e s s e n c e | エッセンス ☆ 合計発行部数 693部 | | ES1070 ☆ (B-mail=114:Nifty=579) | | ¥200 ☆ http://chieichiba.net/ | ──────────────────────────────────── g-essence 070 循環型社会と森林育成 ──────────────────────────────────── ■山に住む ■薪ストーブを焚く ■薪ストーブは「自然にやさしい」? ■炭素を固定化する c o n t e n t s ■森林を軸に循環社会をつくる ■森林の価値のウソホント ■森林と関係を作り直す ■森林資源と自然エネルギーの合わせ技 ──────────────────────────────────── text by paco/渡辺パコ ──────────────────────────────────── こんにちは、pacoは今日は六兼屋スタジオ@八ヶ岳にいます。 今回は、これまでとちょっと違ってエッセイ風に行きます。 一部の人にはお伝えしたとおり、この1月に、八ヶ岳南麓に造っていた家ができあ がって、生活をはじめました。東京での仕事の拠点は目黒に残しつつ(近いうち 縮小して)、目黒と八ヶ岳を隔週で往復する生活が始まりました。今回の滞在は 3回目ということで、こちらでの生活も少しは落ち着き、こうして夜なべで原稿を 書くこともできるようになりました。 ということもあり、エッセンスのねたを決めかねているうちに執筆のタイミング になってしまい、ちょっとうろたえています(^_^;)。なので、今回はエッセイ風 に、ぼちぼちいきたいと思います。テーマは、「循環型社会と体感的自然と人間 のかかわり」。 ──────────────────────────────────── ■山に住む ──────────────────────────────────── 六兼屋スタジオ(新しい住居兼オフィスの名前)はゆったりと裾野を引く八ヶ岳 南麓の標高600メートルほどのところにあります。山の絵をささっと書いたら、い ちばん下の書き始めと書き終わりにあたるような、八ヶ岳の麓の一番下です。 八ヶ岳主峰の赤岳は標高2899メートル、八ヶ岳南麓でいちばん有名な観光地であ る清里の駅(小海線)が標高1300メートル。夏の観光シーズンでは、高原の気持 ちよさを感じられるのは清里より標高の高い地域なんですが、それは真夏のほん の一時期のこと。標高の高い清里では秋は早く、9月初旬になると夜は冷え込み、 外でバーベキューをするのもつらい気温になります。真冬のいまごろは氷点下 10度を下回り、天気のいい昼間でも氷点下でしょう。 自然が豊かで気持ちのいい観光地は、住むにはあまりにも過酷な土地なのです。 この土地に人が住むようになったのは、実は戦後のことで、小河内ダム(奥多摩 湖)に水没する山梨県丹波山村の人たちが強制的に、この地に移されました。 1940年代後半のことです。 丹波山村は奥多摩の山深い土地で、僕は若かりしころ (^_^;)、山岳暴走族と化し てあのあたりを夜な夜な走り回ってました。国道411号線(青梅街道)を青梅、奥 多摩を超えて山梨県に入り、丹波山村を抜け、大菩薩峠の北を通って甲府盆地の いちばん東京よりにあたる塩山市にぬけるルートや、丹波山村からなんかして相 模湖にぬけるルートです。静かな谷筋の村を轟音で駆け抜けたことを考えると、 あらためて罪なことをしたものだと思います(マジ懺悔)。夜の山村では、気温 差の関係もあって、遠くの音までよく聞こえるのです。 六兼屋から西に3キロほどのところに中央高速が通っていて、尾根や谷がいくつか あるのでふだんは聞こえないのですが、天気のいい夜、冷却された上空の空気で 音が屈折し、高速道路の音がよく聞こえることがあります。田舎は静かな分、遠 くのクルマや工場の音が気になったりするのです。 さて丹波山村の人たち。おなじ高冷地ということで、不毛の清里高原が与えられ、 一から開墾が始まりました。この開墾を助けたのが米国人宣教師のポールラッシュ で、アメリカで寄付を募り、たくましい緑色のトラクタ「ジョン・デア」をたく さん買って日本に持ってきて、原生林を切り開き、畑を作り、清里での高冷地農 業を支援しました。 真冬は農業にならず、酪農と高冷地野菜という作物が軌道に乗り始めた70年代 (開拓から20年)、清里はアンアン・ノンノブームに乗り、「かわいいおしゃれ な観光地」ということで知られていくようになるのです。 山の生活は、実際とても厳しいものです。雪の少ない土地ですが、年に数回、や はり降れば 50センチ、1メートルとつもり、気温が低いので何週間も融けません。 ます。土地はやせていて、原生林を切り、根を掘り起こすだけでたいへんな苦労 の上に、もともと八ヶ岳は火山なので、根っこといっしょに巨大なの岩(直径2〜 3メートルクラス)がごろごろでてきます。それらをひとつひとつ片づけ、肥料を やり、寒さと戦いながら作物を育て、生活をつくってきました。 人間は自然と闘わなければ生きていけない。 そのいっぽうで、雑誌が取り上げ、おいしいアイスクリームがあると、苦労の連 続でつくった町に一瞬にして若い女性たちが集まり、若い女性を目当てに男たち が集まりして、現金収入の道が開ける。自然と闘って切り開いた苦労は、数年で 別の時代に入っていきました。清里は、自然のことを考えて生活をつくるのを停 止し、都会からやってくる人々が持ってくる「高原のイメージ」にぴったりとよ りそう、イメージ=人間の脳の中のバーチャルな町に作り替えられていきます。 清里駅周辺には、70〜80年代の、女性たちの頭の中にあったバーチャルな高原の 町のイメージが、そのまま化石になっていまも残っています。動態保存状態です。 人間は、自然と闘っていき、自然を無視して脳の中のイメージを自然の中におく ことでもまた、生きられる。 あるいは。 人間は自然と闘ってなんとか生き延びていたはずなのに、ちょっとした歯車の回 転が変わるだけで、いつの間にか自然は闘う相手ではなくなる。共存するという ような気の利いたものではなく、カネの力ですでに勝負のついた相手(自然)を 好きなように強姦できるようになった、といった方がいいような状況が、そこに は存在しています。実際、カネが都会から集まれば、原生林の根っこも、火山弾 の岩も、巨大なブルトーザーとパワーシャベルで簡単にねじ伏せてしまえるので す。「ジョンデア」の立派なトラクターさえ、微力に見える圧倒的な力が都会か ら流れこむのです。 八ヶ岳南麓に住むという僕の行為は、個人的にはどこか「自然と闘うサバイバル」 な部分があり、いっぽうで「整った設備と技術で自然をねじ伏せたと快適な暮ら しの実現」でもある。 清里の町が、かつて経験した「自然と人間の力の逆転」を、いま僕も追体験して いるような気がする、六兼屋初期の生活です。 ──────────────────────────────────── ■薪ストーブを焚く ──────────────────────────────────── さて、六兼屋での冬の暮らしの中心にあるのは、薪ストーブです。 この原稿をここまで書きながら、僕は何度となく振り返ってストーブの炎を確か め、数回薪ストーブの「世話」をしに行きます。薪ストーブが消えることは、家 族が寝たこの時間なら、即「さあ寝てくれ」を意味し、それが夕方なら、夜の快 適な夕餉(ゆうげ)を揺さぶる重大事なのです。ストーブの火が消えれば、外の 冷気は容赦なく入り込み、1時間もしないうちに摂氏10度から零度のあいだに下が るのは体感的にわかるからです。 薪ストーブは、よく暖炉と間違えられるのですが、暖炉と薪ストーブはまったく 別物です。 暖炉は、サンタさんの絵にでてくるように、煙突から下りると、下の火を焚くと ころはそのまま部屋の空間に解放されています。つまり暖炉は「部屋で焚くたき 火」なのです。 これに対して、薪ストーブは同じように乾燥した木(薪)を使うものですが、鋳 鉄製でほぼ密閉された火室のなかで燃やして暖をとります。 僕も当初は「薪ストーブといったって、たき火でしょ」と思っていたのですが、 使ってみるとまったく別物であることがわかりました。薪ストーブでは、天板の 温度は300度以上になります。火室内は600度になることもあるでしょう。 密閉された火室内に緻密に設計された空気の道を伝ってエアを送り込み、薪のも つエネルギーが完全に燃焼できるように工夫されています。このため、きれいに 燃えているとき、薪ストーブの中ではいわゆる薪の白っぽかったり赤かったりす る火はでません。キッチンのガスコンロのように、青くて透明に近い炎が、薪の 上の空間をオーロラのようにふわふわと漂います。煙はほとんどでず、薪は完全 燃焼して、わずかなさらさらの灰になって残るだけです。 暖炉やたき火では、解放されているためにエアのコントロールが効かず、燃焼温 度が低く、エネルギーが取り出し切れません。このため、小型の薪ストーブでも 家1軒を暖められるのに、暖炉では一部屋を暖めるのも難しいほどです。 薪ストーブを上手に焚くのはなかなか知的な作業で、薪の性質、乾燥の具合、い まの火室内の状況をよく見て判断しないと、あっという間に燃えてしまうか、く すぶって暖まりません。 東京ではエアコンで暖房します。読者のみなさんのところは、ガスのファンヒー ターだったりするでしょう。いずれにせよ、燃料はいつでもほしいだけ供給され、 必要な熱量をいつも、リモコンのスイッチひとつで手に入れられる生活です。 僕はそういう生活を否定しません。実際、東京で薪ストーブをつかいたいとは思 わないし、なんでここ六兼屋では薪ストーブなのか、未だに「やっぱりいいよね 〜」(ミーハー)という以上の理由が見いだせないのです。ただ、東京と六兼屋 の生活の、いちばん大きなギャップが薪ストーブであり、薪ストーブが僕の山で の生活を、自然の中にアンカーしている(錨=いかりでつなぎ止めている)とい うことを感じるのです。 エアコン ピピッの東京が「清里のアンアンノンノ時代」なのか、それとも、山に いるくせに、断熱のよい家の中に給湯も通信関係も整った空間を強引につくると いう行為こそが、むしろアンアンノンノ的なのか(自然から見れば、僕は侵略者 にすぎない)、自分と自然、人間の描く理想の生活(エアコンピピッ)の距離感 が、大きく揺れているのを感じます。 ──────────────────────────────────── ■薪ストーブは「自然にやさしい」? ──────────────────────────────────── さてここら辺から、少しずつ本題に入ります。 薪ストーブは、環境にやさしい暖房器だと言います。木を切り倒して燃料にする のに、エッホント?と思うかもしれませんが、ちょっと説明します。 g-essenceではおなじみの「地球白書」や「ナチュラル・ステップ」(北欧の、エ コラベルを発行するNGO)で、持続可能な社会の条件として、「地殻からものを取 り出さない」というのがあります。地殻から、というのは、地底深くから石油や 石炭、天然ガスやウラン鉱石を取り出さないと言う意味で、地面から対流圏まで のあいだの、人間が生活できる空間の中でエネルギーや資源を循環させなさいと いう原則です。 薪ストーブは森を切り、切った木を燃やしてCO2を出します。燃料に使う薪の量は おどろくほどで、100平米ほどの2階屋全体を1日暖めておくためには、家庭の洗濯 機の3分の2ほどの薪が必要です。一度には持ち上げられないぐらいの量です。外 の薪置き場から、少なくとも1日2回、持ち上げなければなりません。1週間もいれ ばどれだけの薪がいるか……。もちろんそれに見合う広さの森も切らなければな りません。1軒ならともかく、日本中、世界中の家で使い始めたらどうなるか……。 しかしそのいっぽうで、木を燃やしてでるCO2は、木が生長するにあたって大気中 から取り込んだCO2とほぼ同量で、仮に燃やす量と、植林し成長して伐採できる木 の量が釣り合っていれば、「持続可能なエネルギー」なのです。 六兼屋をもし灯油で暖めるとしたら、1日25〜35リットルぐらい必要でしょう。い ま補助暖房として使っている小型のファンヒーターはタンクが5リットルで、木造 住宅なら8畳(13平方メートル)を16時間(約1日)暖められます。六兼屋は100平 方メートルなので、このストーブなら7台程度必要な計算です。もちろん、実際に は大型で効率のよい灯油ストーブもあるでしょうから、もっと少なくてすむかも しれませんが。 灯油ならポリ容器1〜2本。薪なら洗濯機3分の2。確かに薪は量が必要ですが、現 代の文明人が生活するのに必要なエネルギーは、決して少なくなく、いっぽうで 灯油ならすべて地下から汲み上げ、地下にあったものを地上に拡散してしまいま す。 薪ストーブが「環境にやさしい」というのは、実感としてはなんとも矛盾した話 なのですが、やはり代わりになるエネルギー手段(化石燃料)と比べると、「環 境を破壊するかもしれないけど、それでもましである可能性が高い」エネルギー であることがわかります。 ──────────────────────────────────── ■炭素を固定化する ──────────────────────────────────── 薪ストーブの代わりに灯油ストーブや、エアコン(ヒートポンプ)を使うとしま しょう。エアコンももとをたどると火力発電所で石油か天然ガスを燃やした結果 と考えると(とりあえず原発のことはおいておきましょう)、薪を使わないと言 うことは地殻から掘り出したもの(炭素)を燃やしてCO2として大気(生命圏)に 放出していることになります。 地殻から生命圏に炭素が放出されると言うことは、いずれにせよ生命圏の状況を 変えることを意味します。よく聞く議論で、「CO2の排出の結果温暖化すると言う けど、寒冷化するという研究もある、怪しい」という疑義があります。この疑い そのものは指摘の通りで、確かに温暖化、寒冷化、両方の可能性があります。し かしいずれにせよ、地殻から生命圏に炭素を放出すると言うことは、生命圏の状 況を変えざるを得ない。それは人間の生活に「影響なし」とはいえない変化をも たらすという点では、温暖化・寒冷化、いずれの説も「同じ意味を持つ」のです。 ではその変化をなんとか防ぎ、人類の生活を守るためには、放出された炭素を、 「固定化」する必要があります。その最も簡単な例が森林を育てることで、森を 育て、木として固定化すれば、CO2によって大気の環境が変化することを防ぐこと ができます。 (ただし、その育てた木を薪や炭としてまた燃やしてしまっては、地殻から取り だして放出した炭素濃度を大気中から減らすことはできません) このように、大気中の炭素を再び固体の炭素に変えることを「炭素の固定化」と 読んでいます。固定化には森林を育てる方法のほかに、珊瑚礁が旺盛に炭素を固 定すると言われています。珊瑚礁は、小さな生命体が集まってCO2を吸収し、サン ゴという固い石灰質の物質に固定化し、時には「島」までつくってしまいます。 しかし珊瑚礁はむしろ破壊の傾向にあり、温度上昇には森林以上に敏感で、海水 温の2、3度の上昇も致命傷になるといわれているので、すでに温暖化し始めたい まの地球では効果が期待しにくいものがあります。 固定化の切り札は、やはり森林なのです。 で、木を育て、その木を木のままにしておく。もちろん大きく生長した木は切り、 そのまま木として使う。たとえば金属や樹脂の変わりにする。ニューヨークでは ビルの水タンクに木でできた樽が使われていますが、日本のように鉄タンクを使 うより、炭素の固定化に貢献するはずです。ほかに、建築物の基礎に使うという 方法を研究しているところもあります。地中に埋める基礎杭はいまはコンクリー トや鉄を多く使いますが、コンクリートの寿命は50年ほど。鉄も、防錆が悪けれ ば、酸化して腐ってしまいます。これに対して木の杭は、使用環境や樹種を選べ ば、 100年単位でもつことがわかってきています。 木を育て、建物として固定化する。こういった利用法は、地殻から石油や天然ガ スとして掘り出した炭素を気体から再び個体に戻すだけでなく、鉄やコンクリー トという同じく「地殻から掘りだしたもの」の使用量を減らす効果もあり、一石 二鳥です。 薪ストーブを使うと、その薪の使用量の多さに、「これは環境破壊じゃないか?」 と感じます。その罪悪感から、灯油や電気を使うという「他のたくさんの人がや っていること」を自分もやることでなんとなく、森林破壊をくい止めたような気 持ちになったりします。しかし、ここまで見てきたとおり、この「電気や灯油」 というごくふつうの選択は、「炭素の固定化」という大きな仕事を、あとからツ ケとして払う必要があるということを無視しているのです。 ──────────────────────────────────── ■森林を軸に循環社会をつくる ──────────────────────────────────── こうしてみてくると、森林を軸にした循環型の産業をつくる必要が見えてきます。 おおざっぱに言うと、以下のようになるでしょう。 まず植林し、森を育て、木の生長とともに大気中の炭素を固定化します。その際、 効率よく炭素を固定化する森林の育て方をもっと研究する必要があるでしょう。 どんな樹種が成長が早いか(早くCO2を固定化するか)。当初はどのぐらいの間隔 で植林し、どのようなペースで間伐や下草刈りをするか。成長力と木材の活用方 法を合わせて考え、最適な森林育成のための知恵を再構築する必要があります。 と同時に、最終的に木材として、建築物などに使い、固定化する分と、固定化す るのが難しい分を分けていきます。森林を育てるには間伐は不可欠です。間伐材 は細く、建築材などとして固定化するのは難しいので、薪や炭として燃料にする。 その際、家庭用と言うよりは、効率のよいバイオマス発電機に入れ、燃焼して蒸 気タービンを回して電力を得て、さらに廃熱を温水として活用するなどのコジェ ネレーションを行えば、再び大気中に放出されるCO2も最大限に活かすことができ ます。このコジェネレーションには、「固定化用」の成木(建築材や木製給水タ ンク、杭)などをつくるにあたってでる、おがくずや端材も加えるといいでしょ う。 このようなバイオマス(生物資源)によって化石燃料を使わないエネルギー供給 をめざしている都市が北欧にあります。石油を燃やしていた発電所を、廃木材な どを使うバイオマス発電所に切り替え、地殻から掘り出さない発電を行うと同時 に、コジェネレーションでできた温水を市民の家庭に給水します(地下に分厚い 保温材を巻いた温水道を通して配給する)。この温水でキッチンから風呂、室内 暖房までやってしまうため、家庭では給湯のためのボイラーがいらなくなり、家 庭での灯油の利用もなくなりました。 バイオマスによるCO2の固定化し、そして燃やす分も再び森林を育てることで次の 固定化サイクルに載せるという、循環型の社会が実現に一歩近づきました。 ──────────────────────────────────── ■森林の価値のウソホント ──────────────────────────────────── ここで問い直されなければならないのは、森林の価値についての、人々のコンセ ンサスと知識です。 森林破壊を懸念する人の中には、原生林こそ最大の価値と考える人たちがいて、 こういった人たちは、里山があれて倒木がごろごろする状態を「自然に帰ってい く姿」と言います。 しかしいっぽう、本当の意味での原生林は、樹木の生長が一定の飽和点に達して いて、CO2の固定化という力はほぼなくなっているという研究があります。となる と、原生林は決して今大事なものではないという考えもいっぽうでは成り立って しまうのです。 とはいえ、原生林はすでに非常に希少価値になっていること(世界中にほとんど 残っていない)、太古からの生態系バランスがとれていることなどが重要な価値 になり、単純に CO2の循環が価値ではないと考えた方がいいと思われます。 また、植林と森林利用という観点から見ると、たとえば成長の早いユーカリ類な どを植えた方が効率がいいという人もいます。しかしユーカリは毒をもち、森林 の中で生きる昆虫や鳥類、ほ乳類が少ないとのことから、よくないと言う研究も あります。この切り口は、森林の価値を単にCO2の固定化と炭素循環におくのでは なく、「そのついで」に他の生命を育て、維持する「ベッド」としても森林を活 用しようと考える切り口になります。この視点から見ると、杉林などの単作の林 業ではなく、里山の雑木林のような多様性の大きな森林育成と管理の方が、「一 石二鳥、三鳥」と言うことになってきます。 このように、森林を育て活用するといっても、実はまだまだ「これがいい」とい う方法が見いだされていないというのが、21世紀になった人類の実状なのです。 そしていま日本の里山が荒れているように、4000年以上かけて人類が培ってきた 森とのつきあい方が、現代化石燃料文明とともに失われつつあるのも事実で、大 事なタイミングで森林に関する大事な知恵を失うことは、人類の未来に重大な影 響を与える可能性があるというべきでしょう。 いずれにせよ、どのように森林とつきあっていくか、循環型社会の実現は、この 森林とのつきあい方の知恵の創出にかかっているといってもいいと思います。 ──────────────────────────────────── ■森林と関係を作り直す ──────────────────────────────────── とはいえ、森林との新しい関係を作り直そうという動きは始まってます。小さい が重要な動きとしては、「トトロの森」トラストで知られる「トトロのふるさと 財団」です。 http://www.jeton.ne.jp/users/totoro/Welcome.html 映画「となりのトトロ」で描かれた狭山丘陵の雑木林を守ろうと始まったこの動 きは、公立公園といくつかのトラストによって買い上げられた森で構成され、こ うして残された森では一般市民が参加して「山仕事」の会などが行われています。 下草を刈り、間伐し、明るく成長力のある雑木林を人間の手でつくり、森を育て ながら森を活用していく。東京近郊にある森で、こういった経験ができる場がで きていること、そしてそれを体験しながら森を知る人たちが増えていくことは、 とても21世紀的です。 「g-essence 064 環境問題を一点突破する」で紹介したアマゾンのアグロフォレ ストリーもなかなか21世紀的だし、多分日本の林業関係の企業も、研究と行動を はじめていると思います。 エッセンス読者にとっては、たとえば休日にトトロの森やあちこちで開催されて いる山仕事を体験する会などに参加してみる、というのはとても大事ですが、そ れはそれとして、ビジネスでのかかわりを考えてみましょう。 前述のように、建築・建設関係では、これまでのコンクリートと鉄中心の発想か ら、少しでも木材を使って、長期間にわたって木材として炭素を固定するという 活動に貢献する方法を考えるべきでしょう。 その際、木材を切り出したあとの森林が、きちんと再生していることが重要なの はいうまでもありません。再生を条件に切り出された木材を表すエコラベルがあ ると、とても利用しやすくなるでしょうね。 また木材を利用するときは、廃材や端材の有効活用を忘れないようにし、余った から、引き取り手がないから現場で野焼き、といったことのないようにする必要 があります。 そのためにはやはり情報が非常に重要です。薪ストーブのユーザーはちょっとし た「余った木」の情報には敏感で、情報さえ流れてくればいそいそと軽トラック で引き取りに行ったりします。このあたりも、インターネットを使って、企業の ような大きな木材ユーザーと、個人の薪ユーザー、またバイオマス発電設備を持 つ企業とのあいだで、「一方の余剰」が「他方の必要」担っているという関係の バランスがとれれば、ぐっと効果が上がります。 木材〜森林とどうつきあっていくか。企業として、企業人としてもやれることが いろいろありそうです。 ──────────────────────────────────── ■森林資源と自然エネルギーの合わせ技 ──────────────────────────────────── さて、ここまでの流れの中で、「薪ストーブ」か、「灯油か電気」という選択肢 を示しました。ここで「灯油か電気」を同じように化石燃料を使っていると仮定 して、「循環型ではない」と決めつけてしまいましたが、電力を風力など自然エ ネルギーでつくれば、状況は変わります。 薪ストーブやバイオマスをつかったコージェネレーションのような、循環型のエ ネルギー利用と、風力や太陽光による自然エネルギーを合わせ技で使っていくこ とで、循環型産業は一歩実現に近づくことになります。 いずれにせよ、自然とのつきあい方を、新旧組み合わせて再構成することがいま 求められています。いっぽうでは森林育成というような、過去の知恵を使いつつ、 再構築し、もういっぽうでは風車や太陽光発電パネルのような、まったく新しい エネルギー利用の技術を活かしていく。一筋縄ではいきません。 ○ ○ ○ さて、いまも僕の横で、薪ストーブの炎がゆらゆらと燃えています。今日も重さ にして20キロ以上の木を灰にしてしまいました。 こうして循環型社会についてのストーリーを描いてみてはいるものの、この消費 量の多さにはやはりたじろがざるを得ません。自分の行為のいいわけのために、 このエッセンスを書いたのかなと思わないでもない。でも、薪の需要を起こすこ とは、少なくともこういった山里では、多分地域に小さな木材へのニーズをつく りだし、間伐や植林への意欲につながる可能性はあるでしょう。いっぽう、電力 や灯油に安易に頼っては、なんとなく安心でも、結局問題を先送りしているだけ というのは事実なのです。 あらためて環境問題の奥深さを感じます。 問われているのは、まさに日々の僕らの生活のあちこちにある状況へのセンシティ ビティ(感受性)なのだと思います。 2001.2.15 paco/渡辺パコ paco@suizockanbunko.com ------------------------------------------------------------------------ ■参考文献 速水林業 速水亨氏インタビュー http://eco.wnn.or.jp/magazine/interview/interview.html 「森を守れ」が森を殺す 田中淳夫 新潮OH!文庫 562円 知られざる地球破壊 石 弘之 小学館文庫 495円 薪ストーブ大全 地球丸別冊 ──────────────────────────────────── ●エッセンスの転載については、知恵市場までお問い合わせください。 paco@suizockanbunko.com 知人(個人)へのエッセンスの紹介を目的としての転載は、1号限り、全文を 送っていただく場合に限り、特にこちらに許可を取らずに行ってかまいませ ん。ただし登録せずに受け取った人がさらに別の人に送ることは認めません。 ──────────────────────────────────── end of Chieichiba Essence (c)Chieichiba & Suizockanbunko inc. 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