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以前もそういうことを書いたことがありましたが、今回のコミトンについてもこの内容が限られた情報による仮説であることを最初に断っておかなければならないと感じています。ただ、それであっても感じたこと、考えたことを記しておくのはきっと意味があると直感的に感じています。そして、言葉(ポルトガル語〉や文化(特に音楽〉をインプットしてから、また探りに行ってみたい、と思っています。 ■ブラジルはラテンじゃない? そもそもブラジルに行ってみようと思った第一の理由は「ラテンのノリ」というやつを体感してみたいということでした。ラテンのノリが好きだということではなく、むしろ自分とは異質のものだと思っていたので一度触れておく価値があるだろうと思ったのでした。ちなみに僕がイメージしていたラテンのノリとは、情熱的(喜怒哀楽が大きくて表に出る)であるということと、「踊っている」(実際、そして比ゆ的に)ということでした。 だからおおげさにいえば、ウェイターが踊りながらやってくるとか、タクシーのドライバーは歌いながら走るとか、そこら中の街角から踊るような音楽が聞こえてくるとかをイメージしていました。ところが実際に来てみての印象は「あれ? 思ったよりおとなしいな」というものでした。 特に、カーニバルで有名なリオから入ったので、派手なアメリカスタイルところとはまた違った「ドッカーン」という印象を想定していたのですが、空港は地味だし、海岸沿いに並ぶホテルは日本のちょっとした海水浴場といった雰囲気(おとなしいな?)、早朝のビーチ沿いはジョギング・シューズをはいて走っている人が山ほど(ストイックだな?)、街中も音やリズムが聞こえてくるのはほんの時々。ウェイターもホテルのフロントもタクシーもバスも歌いも踊りもしません。そこらにいる人も特にやかましい(情熱的〉ということもない。「ラテンのノリ」はどこ?と思ったのでした。 ■ブラジル人はよく運動する―そういえば人間は動物であった そんなブラジルについて「これは特徴かな?」と最初に感じられたのはスポーツをしている人が多いことです。ビーチといえば、日本なら子供連れと若者がひしめきあって遊んでいる、海外のリゾートならみんなひがな一日ねっころがっている、というのがこれまでのイメージだったのが、ここではとにかくスポーツをしている人が目立つんですね。特にリオは「健康のため」というレベルを超えていて、見ている方がこわくなるような波をこなしていくサーファーたち、男性顔負けのビーチバレーを展開する女性、ビーチ沿いの専用道をかなりの速度で走る人そして自転車、足で円陣バレーボールを延々と続ける人たち(ボールが地面に落ちない!)、夕方からはすいたビーチで照明の下で思いっきりかけずりまわりながらサッカーをする少年たちと、とにかくスポーツしている人が多いのです。それも若い人ばかりではなく、年配の人までいる。そういえば人間は動物(=動く物)だった、なんてことがふと頭に浮かぶほどでした。 もちろん他の動物と違って、上のような運動は生きるためにやっているわけではありません。その点では「自然」ではないかもしれないけど、でも体は動いていた方が自然だし美しい、と感じました。そしておもしろいのは、そうやってひきしまった体を誇るように、男性はビーチで胸を張って立っているし、女性は年配でもビキニなんですね。もちろん年配になってくるとそれなりのプロポーションに変わってはいるんですが、それでもアメリカ人や日本人の通常と比べれば、いい感じに見えます。ビーチもなく働き者が多いといわれる大都市サンパウロではだいぶ東京に近く見えましたが、それでも公園やクラブで運動する人たちには「動物」を感じました。 ■時間の使い方が違う 次に感じたのは、楽しむために使っている時間が多い、ということでした。上のようなスポーツもそうですが、他にも。ビーチでねっころがっている人もいれば、ずーっとおしゃべりしている人もいる。平日でも朝や午後の遅い時間からはそんな感じですし、休日のビーチは日本顔負けの混雑状態。ビーチのないサンパウロでは夕方からバーやレストランに人が集まり、ビジネス街の近くだけでなく住宅地の真中でも街角のバーに人が大勢います。なんでも人が集まるほどそこに人が集まってくるとか。 また、特にブラジル音楽の発信源と名高いサルバドールでは、屋外コンサートが複数が行われるエリアに夜になると人があふれています。コンサートは、無料のも有料のもありますが、いずれもたくさんの人。みんな、食べたり、しゃべったり、踊ったり、いっしょに歌ったりしています。 さらにびっくりするのは夜遅くまで活動していること。リオでも初日からともだちに「典型的なブラジルの生活を見たいんだって? じゃあ土曜日は9時半から映画を観に行ってそれからディナーだけどいいか?」とその通りに連れだされました。その後ホテルに帰って眠っていたら外が騒がしくて目を覚ましたのが午前
3時。外を見てみると人がたくさんバーの前に立っていたり、ビーチに向かって この時間の感覚の違いで失敗したこともありました。サルバドールでオロドゥンという大人気のパーカッションのコンサート(火曜日の8時スタート)に行ったのですが、やっていたのがあまり好きな感じじゃなかったので10時過ぎに「もう 2時間もいたから前座ということもないだろう」と途中で帰ったのです。ところが、実はまだ前座で本命は登場していなかったのでした。深夜からスタートということも多いようです。しかし、それでも朝は普通に始まるし、スペインなどのように昼寝の時間もない。ブラジル人はいったいいつ眠っているんだろう? (朝型と夜型、スポーツ派と音楽派と分かれているのもあるでしょうが、両方という感じがする人もけっこう見ます) その答えはわからなかったのですが、まず生活の中で「楽しむ」ためにさいている時間が長いというのは言えそうです。 そしていろいろな人と話したり、見ていて感じたのは、ブラジル人の力点は(日本人と比較すると)未来よりも今にあるということでした。「あしたがあるから早く帰って・・・」というよりは今が大事。ビーチであれ、おしゃべりであれ、音楽であれ、まず、今を楽しむ。あしたについてはあしたになったら考える。カオハガンでも似たことを感じたので、これは飢えや寒さで死ぬ心配の少ない熱帯の特徴かもしれません。ただ、それを「呑気でいいよねえ」で終わらせてしまってはもったいない気がします。つまり進歩してきた今の世の中を考えると、日本だって飢えや寒さで死ぬ心配はずっと減っている。だったら日本人だってもっと今を大事にしてもいいのかもしれない。「今」を未来のための準備として意識する度合いを減らして、今を今として生きる度合いを増やしてもいいんじゃないの、と楽しそうにしている彼らを見て思ったのでした。 そしてブラジル人を見ていると、その「今」を楽しむためにけっこう、努力していることを感じます。たとえばともだち夫婦と外出した時、彼は話しかけたり、おどけてみたり、キスしたり抱き寄せたりと、何度も何度も奥さんの気分を盛り上げよう(結果として自分も楽しくなろうと)としていました。 ■楽しい人たち ここまでのところから「楽しそうな人たちだな」と感じたかもしれません。実際、僕はそのように感じていました。冒頭に上げた「ラテンのノリ」には怒りや悲しみもバーンと出てくるものだと思うのですが、憎しみも含めてネガティブな表現をあまり感じなかった。もちろんそういう感情を持たないということではないでしょう。でも、それを表に出さないか、何らかの形で昇華してしまっている。そして常にムードをポジティブに持ちながら生きていこうとしている。(今回は体験できませんでしたが)そこで一つ大きな役割を果たしているのがカーニバルでは、という気がしています。世界的に有名なリオのみならずサルバドールでもその他各地でも、カーニバルは(その前は 仕事にならないというほど)大きな祭りであり、特に貧しい人々にとって晴れ舞台である、と言われています。こうして維持される楽天性には、いい面もあるけれどもマイナス面もあるのかもと思ったのですが、これについては後で触れます。 ■るつぼから生まれるアイデンティティ さて、ブラジルに「ラテン」をあまり感じなかったのはもう一つの理由は、ヨーロッパよりもアフリカを強く感じたからではないかと思っています。ブラジルは日系も含めて移民の国であることはご存知の方も多いと思います。しかし「人種のるつぼ」とよく言われるアメリカ以上に「るつぼ」であることを知っている人は少ないのでは。 約500年前、ポルトガルにより「発見」されたブラジルには先住していたインディオに加え、ポルトガル人、植民地時代に奴隷として連れてこられたアフリカ人、イタリア、ドイツ、日本をはじめとする国々からの移民といろいろな人々がやってきています。特に、他のラテンアメリカ諸国には黒人がほとんど移住しなかったのにくらべて、ブラジルには植民地時代に400万人ものアフリカ人が奴隷として連行されてきています。 そして今回、見ていてアメリカと違うな、と思ったのは黒人と白人の混在する集団やカップルをけっこう見かけることでした。アメリカでは、(それが差別意識によるのかどうかはわかりませんが)いつのまにか黒人同士、白人同士というようにグループがなっているのをよく見ます。10年前の話ですが僕が行っていたビジネス・スクールのグループワークでもそうでした。これに比べるとブラジルでは、黒人と白人がずっと交わりあっているように見えます。そして実際、血の混じりあっている人も多く、僕らの友人もその一人です。 その傾向は文化の中にも感じます。たとえばカーニバル自体はヨーロッパの習慣ですが、そこで踊られるサンバの起源はアフリカから黒人奴隷たちが持ちこんだものです。ブラジリアン・ロックのコンサートで使われていたパーカッションの「しなり方」にも南アフリカで受けたのに非常に近い印象を受けました。 音楽だけではありません。ある日系ブラジル人に、ポルトガルに遊びに行った時の写真を見せてもらったのですが、ブラジルの色使いにはポルトガルとアフリカが融合しているという感じを受けました。また食生活でも黒人たちが余りものから作ったというフェイジョアーダが白人も含めたブラジル人に好かれていますし、日系移民が作り出した多様な野菜がブラジル人の食生活を変えたという話も聞きます(たとえば「柿」という言葉はそのままkakiとブラジル語になっています)。 考えてみるとこれは興味深い。国としての「アイデンティティ」を語る時、日本ではよく、古くから保たれているもののことを考えます。しかしブラジルのように歴史の新しいところ、かつ寄せ集まってきたところの場合、アイデンティティは寄せ集めからつくるものです。人々が持ち寄ったもの、そして風土と時代から紡ぎだされるもの。ブラジルの音楽、サッカー(スポーツ)、そして考え方などの特徴はそうして生まれてきたものという感じがします。なお、「ブラジルの好きなところって?」と何人かの人に聞いてみたところ、日系人も含めて複数の人が「なんでもありのところ」ということをあげていましたが、このこともきっとこうした文化形成プロセスにかかわっているのでしょう。 このようなアイデンティティについての考え方を日本に当てはめてみるとどうでしょう?「日本古来」からのものを守ることだけがアイデンティティの確立ではないように思います。かといってもちろん、外から取りいれるばかりでもない。日本の歴史と世界という、いわば縦と横を見ながら、日本人の特徴と日本の風土にあったものをつかみ出し、進化させていくことが日本のアイデンティティの紡ぎ方ではないか、という気がします。そして考えてみれば日本もまた(宗教をはじめとして)あらゆるものを飲みこむことを得意としてきた国です。 ■貧富の差と治安の悪さ さて、ブラジルについて「おもしろい」と思ったことについて書いてきましたが、ブラジルの特徴は(残念ながら)それだけではありません。問題として特によく取り上げられるのがまず、世界一と言われる貧富の差の大きさです。一億総中流といわれる日本と違って、ブラジルは一握りのとてつもない富裕層、2、3割の中流、それ以外の貧困層で構成されると言います。なお、中流といっても生活水準は日本の中流よりも高く、メイドと乳母を雇い、100平米クラスのマンションに住んでいたりします。一方、貧困層は、月収100ドルにもならない人も少なくなく、リオには南米最大のスラム(ブラジルではファベーラと呼ばれています)が存在します。 ファベーラを直接訪れることは今回できなかったのですが、ブラジル在住の写真家、松村麻里子さんから写真を見せてもらうことができました。その印象はまず、思ったよりも小ぎれいな格好をしている、ということでした。また栄養失調のようにやせているわけでもない(そういう子もいるでしょうが)。松村さんとの話から想像するに、衣食は安く、暖かいところでもあるのでとりあえず生きていくことは出来る、しかし住環境は今にも崩れ落ちそうにぼろぼろだし(南アフリカで見てきたものに近い)、もっと収入を得るにも、そのために教育を受けるにも、上にあがっていく道は非常に狭いという状態なのでしょう。たとえば公立の大学は無料ですが競争率は非常に高い。したがって(正攻法では)サッカーでプロになるか宝くじにでもあたる以外、のしあがる道はないというのがブラジルで聞いた話でした。 そしてブラジルが抱えるもう一つの大きな問題が治安です。1997年には一日124人が犯罪で殺されたというブラジルは南アフリカに並ぶほど治安が悪いと言われ、友人たちからも「リオは実は安全だ。僕は10年以上住んでいて1回しか強盗にあったことがない」とか「弟(サンパウロ在住〉は2回誘拐された」といった話を聞きました。アパート(日本でいうマンション)に門番がいて来客も家の側でOKを出さないと入れないのはどこでもいっしょでしたが、とりわけサンパウロではは高い塀とワイヤーがはりめぐらされていました。またサンパウロであちこちを車で連れていってくれた友人は、信号で止まるたびに(暑いのであけていた)窓を閉めながら「強盗対策なんだ」と言っていました。もちろん常にドアはロックしています。 僕らも会う人ごとに「気をつけて」「怖い目にはあわなかった?」と言われ、友人たちには「夜はタクシーを使うように」「観光客に見えないように振舞え」と注意され続け、おかげさまで怖い思いはしませんでしたが、それでもきれいなビーチで夕日を見ながら雑談しているうちに横においておいた短パンをかっぱらわれました。財布が入っているかも、と思われたのでしょう。 上に二つ上げた大きな問題のうちの貧富の差が続いていることについてふと思ったのは、前述したような怒りや悲しみを昇華させて表に出さないことが影響しているのでは、ということでした。何人もの人が政治家の腐敗について「とんでもない状態になる」と指摘していましたが、金が使われるべきところで使われずに誰かの私服を肥やすことはおそらく、貧富の差の大きな原因でしょう。しかしひっきりなしに口にはされるものの、たとえば大デモや、あるいは(極端ですが〉暴動になったというような話は聞かなかった。たとえば南アフリカだったら、大デモが展開されていたように思います。つまり、貧しくてもその中で生きることを楽しめてしまうことが仇になっているのかもしれません。貧しいというレベルではないものの日本も少し似ているかもしれませんね。 一方、犯罪の深刻化に対してどういう手を打つかは、今後のブラジルの方向を大きく左右することのように感じています。サンパウロで最近作られつつある郊外の住宅地は、その区画をくくるように外側に塀をめぐらしゲートを作っていたのですが、これなどは、人間が檻に入って猛獣が外をわがものがおに歩いている状態に近いと感じました。それは、今をのびのび楽しむというブラジルとはかなり違います。これに対して、ただ警察官を増やすにはサンパウロはでかすぎるし、リオでも金がかかりすぎるでしょう。また、犯罪の温床であるとスラムをつぶすような強行策に万一出れば、憎しみと混乱の歴史が始まりかねません。 となるとつまらないくらい正論ですが、社会的不公正と貧富の差が治安悪化の大きな原因となっているとふまえて、(ある程度であれ)公正な裁きや、成功の機会の増加といったところに手を打てるかどうか。そういった政治を特に中流層が求めていけるかどうか(ブラジル人が新たに時間を費やすべきところ?)ということになると思います。ルールや「ノー」を乗り越える機転や融通を「ジェイチーニョ」と呼んでプラスに評価する国、今を楽しむことに大きな重点を置く国の性格を変えていく話とも言う気がしますが、だからこそ、同じような課題を抱えた日本人として、今後のブラジルに興味を感じます。 参考文献:「ブラジルを知るための55章」(アンジェロ・イシ著 明石書店)
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