デュアルライフ(7) お買いもの

5月。六兼屋の5月は「命が湧く季節」です。
標高600メートルの六兼屋の春は、都会より少し遅くて、今年は桜が咲いたのが4月初旬。いつもなら4月下旬です。東京の春は、梅、沈丁花（じんちょうげ）、桜の順にやってきて、葉桜の季節にはすっかり春らしくなりますが、六兼屋では、桜は咲いてもまだ冬の景色。さとやまの風景を作る主役、雑木林の芽吹きが始まり、あたりがむせかえるような緑に染まる5月こそ、本当の春です。今回のコミトンは、命湧く里山の自然のお話です。

■米の「生産工場」里山

最近、六兼屋にも遊びに来たことがある友人に「日本文化の中心地は里山だよね」という話をしたら、「里山って何？」と聞かれたので、ああ、まだそれほど市民権を得ていない言葉なんだなあと、改めて思い直しました。なので、改めて里山とは何か、という話からします。

例によってこういう言葉にははっきりした定義がないのですが、第一義的に使われるのは、田んぼと雑木林を中心にした日本の田園風景です。

知ってのとおり、近代以前の日本の生産活動は、田んぼでの米作りが主力でした。日本人は、米作りがもたらされて以来、日本中の自然を徹底的に改造し、里山という、米の生産「工場」を日本中に作ってきたのです。

■里山工場の主力生産ライン

米を作るには、豊富な水と水をためられる農地が必要です。水をためて育てる田んぼが、いわゆる畑と一番違うところは何か？　それは「水平である」ということです。なあんだ、当たり前のことじゃないかと思うかもしれませんが、大地が水平な面の組み合わせで構成されているというあり方こそ、日本の風景を決定づけています。たとえばポーランドやドイツなどの小麦畑。日本でいえば北海道・富良野のラベンダー畑。水を張らない農地は、地形に沿ってゆったりとうねって広がりますが、田んぼは地形に沿って作ることはできず、正確な水平面を、段階的に並べて作っている。これが里山の第一の特徴です。

次に、田んぼが機能するには、ため池が必要です。春、すべての田んぼに一気に水を張るには、雪解けの水を下流に流してしまわずに、ためておかなければなりません。川に流れるままにしてしまえば、田植えの時期にそのあたり一体の田んぼすべてに水を張るだけの量が確保できないのです。と同時に、冷たい雪解け水を春の日差しで温めておくことも、ため池の重要な機能です。

典型的な里山は、低い山（尾根）に囲まれた谷状の土地に作られます。これを「谷地（やち）」「谷戸（やと）」「谷津（やつ）」などと呼びます。このような土地を流れる小川の上流をせき止めて、まずため池を作る。ため池の大きさは、六兼屋のあたりでは100メートル四方ぐらい。堰（せき）の幅は数100メートル、高さが20メートルほどという、かなり本格的な土木工事によって作られたものです。次に、ため池から、尾根が平地に降りる境界線部分に水路を造り、平地部分（谷筋）を水平の面に整地して、田を作り、水路から田に水を引き、また排水できるようにします。

冬が終わって3月ごろから雪解け水が増え始めると、ため池の水量が上がります。この水を水路に流し、さらに田んぼに入れるのが、いま、ちょうど5月中旬から6月ごろ。ここに田植えをして夏のあいだ稲を育て、8月には育った田んぼから水を抜いて、9月に刈り取り。田んぼは水の入った「池」から土の面でできた「畑」に戻ります。

さて、日本では、この田んぼで1年に2回、穀物の収穫を行ってきました。6月から10月が米、10月、水を抜いた田んぼ（畑）に麦を蒔き、春、4月ごろ収穫。六兼屋のような高冷地では、おそらく麦ではなく、秋に蕎麦（そば）や粟（あわ）、稗（ひえ）をまき、冬になる前に収穫してしまったのでしょう。いずれにせよ、ひとつの田んぼで1年に2回収穫し、しかも休耕せずにずっと耕作できる豊かさを持っているのが日本の「生産工場」である里山の高機能なところです。

ちなみにこのような生産ができるのは、世界でも、ほぼ日本だけに限られているそうです。夏場はモンスーンの影響で東南アジアと同じ気候になり、ベトナムあたりが原産の米が育つ。秋から冬は大陸型の気候になり、冷涼な気候にむく小麦が育つ。朝鮮半島や中国北部では、秋冬の気温が低すぎて麦は育たず、一方長江（揚子江）以南の暖かな地域では、秋冬にも米が育つ（二期作）。

■里山のサブ生産ライン

さて、里山の「主力生産ライン」は、山から流れ来る川とため池、水路、田んぼでした。しかし里山の優れたところは、この「主力生産ライン」に隣接して、「サブ生産ライン」を持っている点です。そのひとつが、農家の庭先にある野菜の畑。ここで大根や蕪（かぶ）、小松菜、白菜、なす、きゅうりなどを育ててきた。もうひとつが雑木林。ここが薪（まき）や炭などの燃料、そして茸（きのこ）や木の実などの嗜好品を生産。さらに田んぼの周囲の畦（あぜ＝田んぼの水をせき止めておく盛り土）や水路の周囲がもうひとつの生産ラインで、ここに蕗（ふき）や芹（せり）、薺（なずな）などの新鮮な山菜が育ちました。

つまり、里山は、米、麦、野菜、山菜、茸、木の実、薪、炭などを総合的に生産できる非常に効率の高い「多品種、大量＆少量生産の大規模工場」だったのです。この効率の高さ、生産品の多彩さこそ里山の豊かさであり、日本でこれだけの人口密度が養えた大きな背景になっていました。

ついでにいっておくと、里山の生産ラインの設計の緻密さを見ていると、工業化以降の日本の成功の理由が見えてきます。水路をベルトコンベアに、田んぼを生産冶具（じぐ）に置きかえれば、簡単なマニファクチュアはすぐに設計し、運営することができるだろうことは容易にわかります。日本の近代化の成功は、まさに里山の構造に、理由があったのです。

■雑木林の生産力

サブラインのうち、注目すべきは雑木林です。雑木については「052デュアルライフ(6)ぞうきいしょく」を見てほしいのですが、ここでは雑木林の生産活動について見てみましょう。雑木林は、日本の自然植生である照葉樹林（ツバキやクスのような葉がテカテカした常緑広葉樹）を切り払い、そこに落葉広葉樹を生えるように整えた林です。日本では森を切って地面をむき出しにしておくと、鳥や動物、風が種を運んで、コナラやクヌギ、カエデなどの落葉広葉樹がまず育ちます（いずれは照葉樹が勝り、照葉樹林帯になってしまいます）。こういった雑木は成長が早く、また毎年秋に葉を落とすので、その葉が自然の腐葉土を作り、畑や田に入れる養分の豊富な土になりました。雑木林は里山の人々によって管理され、15年ほどたった雑木は切られて、薪や炭になり、人々の家を暖めます。切った雑木の切り株は、掘り返さずに置くと、そこから芽が出て（ひこばえ）15年ほどで再び太い雑木に育つ。根が残っている株から出るので、成長が早いのです。人々は雑木がよく育つようにほどよい密度に林を管理し、積もりすぎた落ち葉を掃いて林をきれいに管理してきました。その結果、秋には茸が生え、春にはぜんまいやこごみなどの山菜が豊富に出てくる林になったのです。里山を囲む山（尾根筋）もまた、人の手が入ることによってただの山ではなく、豊かな生産拠点になっていました。

■広い意味でのさとやま

さとやまの基本的な構造を話すだけで結構な文章量になってしまいました。里山は、ひとが自然を改造し、日本の気候や大地の特性をもっともよく引き出し、効率的に生産するしくみでした。逆に言えば、里山はひとが関わっているからこそ、自然の豊かさがめいっぱいまで広がっている場所です。

このような意味を拡張して、最近では「ひとが関わることで豊かさが増している自然」全般を「さとやま」と呼ぶようになってきました。たとえば伊豆や紀州の櫁柑（みかん）山。傾斜がきつく、畑も田んぼもできない山にミカンを植えることで、果実という生産を生み出すことができる自然になりました。奈良県吉野、秋田などの杉林、木曽のひのき林などの銘木の産地もまた、さとやまと呼ばれるようになっています。

自然にはふたつの種類がある。人の手がいっさいはいっていない原生林などの手つかずの自然と、人間の手が入っているからこそ、豊かになっている自然。後者全般を、さとやまと呼ぶようになってきたのです。

■里山の命が湧く

さて、六兼屋の春、5月。命が湧く季節です。

春、最初にやってくる命は、テントウムシ。日差しが強くなってくる2月おわりにはニジュウヤホシテントウが脱皮して、たくみに部屋に入り込んで暖を取るようになります。5月、ナナホシテントウがあちこちで脱皮し、黄色い初々しいからだから七つの星をじょじょに浮かび上がらせています。この人たちの目当ては、木や草につくアブラムシ。懸命に庭木を育てている僕らにとって、アブラ虫やカイガラムシなどの命は、残念ながら「敵」。その敵といっしょに戦ってくれるナナホシテントウはありがたい存在です（だから昔は益虫などと呼ばれたわけです）。まだ小さなカマキリの子どもたちは、カマを振り上げてもちっともいたくない。夏になるころには、かなりの攻撃力を身につけるまで大きく育っているでしょう。

カエルも一気にやってきます。体長2～3センチほど、指に吸盤を持つニホンアマガエルです。色は鮮やかな黄緑ですが、カエルは生育環境に合わせて体色を変えられるので、茶色のやつもけっこういます。このカエルたちは冬のあいだ、森の落ち葉の下で冬眠していたのでしょう。雑木林から降りてきて六兼屋の庭を通り、水が入ったばかりの田んぼで毎晩恋の歌を歌い続けています。6月ごろになるまで、田んぼにつながる水路の中ではヤゴが育ち、トンボにになり、ホタルも飛び交うようになります。

カエルといっしょに、ヤモリやカナヘビも起きてきて、あちこちをうろうろしています。ゲジゲジやムカデも、そこいらへんの石や倒木の裏側で活動開始。ガやチョウの幼虫、つまりケムシやアオムシのたぐいも出たばかりの新緑の葉をごちそうに食べ放題。それをねらって、シジュウカラやヒヨドリもやってきます。彼らも恋と子育ての季節、食欲旺盛なヒナに、栄養たっぷりのアオムシをせっせと運んでいるのでしょう。

恋の季節といえば、キジ。体が大きく、羽の美しいキジのオスは、まだ水が入らない田んぼのあぜに堂々と出てきて、甲高い声でなき、羽を広げてメスにアピールしています。いわゆるディスプレイです。一方目を上に向けると、トンビがゆったり旋回して、カエルやヘビをねらっていますが、実は里山の制空権を握っているのは、ここでも圧倒的な知性を誇るカラス。うっかりなわばりに近づきすぎたとおもわれるトンビに、カラスが猛攻撃をかけて空中戦になることもしょっちゅうです。大きな体同士なので、これを見られるとかなりわくわくしますが、たいていはカラスの勝ちです。

■命の連鎖を人間が加速する

里山の春～初夏には、突然命が満ちあふれます。もちろんこれらの命は、突然湧いたわけではなく、冬になる前、秋のうちにみんな準備されていました。卵の形で、幼虫の形で、雑木林の地面にそっとしていたり、少し暖かな土地に行っていたものもいるのでしょう。

カエルがたくさんいるのは、そこに湿地ができるからです。この季節、一面にうす茶色に枯れていて田んぼには水が入り、突然あたり一面、湿地になります。この湿地でカエルたちは恋をして、卵を産み、おたまじゃくしが生まれる。カエルたちは夜になると六兼屋の窓ガラスに張り付き、六兼屋の明かり集まってくる蛾や羽虫をごちそうに大きくなります。文字通り、六兼屋レストランです。カエルは田んぼの水と住民の家の明かりがあるからこそ、増えることができる。そしてその増えたカエルを鳥やヘビがねらい、おたまじゃくしをねらってタガメやゲンゴロウなどの水生昆虫も育つ。そのカエルたちが冬を越せるのは、ひとが育てた林である雑木林の暖かな葉っぱのベッドがあればこそです。こういった命の連鎖をねらって、もっと大きな生き物、ウサギやタヌキやキツネも生きていけるのでしょう。

もし、この谷津（谷筋の土地）に人の手が入らなければ、ここはうっそうとして暗い照葉樹の森が続くだけだったでしょう。カエルは谷川の近くにわずかに暮らすだけで、これほどの数が育つことはありません。もちろん、カエルをねらう鳥やヘビ、カエルがねらう羽虫の数も種類も、もっとずっと少ないでしょう。人間が自分たちのために作り上げた里山という自然を使った生産ラインは、人間に実りをもたらすだけでなく、多くの命もまた育ててきたのです。

■自然を改造し、自然を豊かにする

現代の都会人はこうした自然を、「人間の都合のよい自然」と呼んで「自然ではない」かのように分けて考えてしまったりします。しかし、人間の都合のために改造した里山こそ、実はもっとも豊かな自然の有り様を生みだしている。「豊かな」というのは、ここでは生物種の多様性、個体数の多さ、そしてその生態系全体が安定的に維持されていくという点を豊かといっています。

もしひとが、ひとに都合のよい自然に改造しなければ、これだけ豊かな自然は存在しなかった。里山を作り、維持してきた人間が、自然の豊かさに貢献してきた役割の大きさについて、もっと知らなければならないし、それがわからないことこそ、自然の豊かさを失わせているのだということもまた、知る必要があります。

■里山には、自然を豊かにする知恵がつまっている

逆に言うと、里山という自然の改造法は、自然を豊かにする知恵がつまっている、といういい方もできます。そして、その自然を豊かにする人間の営みの知恵こそ、日本の伝統文化であり、日本の知恵の宝庫です。

いま、日本文化として世界に紹介される、能、狂言、相撲（すもう）、祭り、音楽、踊りなど、すべての日本文化は、里山の文化や知恵と密接な関係を持っている。もちろん、里山という自然改造、自然活用の技術、知恵そのものも重要な日本の文化です。

国際化の時代の中で、世界のなかで日本のポジションを明らかにする必要があるとしたら、もちろん日本の産業や科学技術も重要ですが、同時にその背後に隠れている里山の文化、技術も、重要な要素でなければなりません。

にもかかわらず、僕たちは、日本の技術や文化から、その根っこである里山を切り捨ててしまおうとしています。里山を無視しては日本は語れないし、世界の中での日本の価値も語れない。

もちろん、だからといって、明治以前に帰れといっているわけではないし、そんなことは不可能です。これからの時代の中で、里山がどのように存在していくべきか、まだ撲にはその答えが見つかっていませんが、もし人類に持続可能な未来があるとしたら、里山にはその知恵の多くがつまっているのは、多分間違いないと思います。

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▲里山のサブ生産ラインからのごちそう。春一番のお楽しみは、ふきのとう。初夏、6月の破竹。ふつうのタケノコと違って、すごく柔らかく、生でも食べられる。

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渡辺パコ。ライター、デザイナー、コンサルタント、グロービス・マネジメント・スクール講師。
1960年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。85年採用広告プロダクションでコピーライター、クリエイティブディレクターとして広告、会社案内の制作、PR戦略の企画立案などを担当。その後、独立して90年に有限会社水族館文庫を設立。94年から著作活動を開始する一方、Webサイトの設立・運営にアドバイザーとして積極的に参画、ビジネスインキュベーションを担当。雑誌などへの執筆活動も行う。著書に「＜意思伝達編＞論理力を鍛えるトレーニングブック」「論理力を鍛えるトレーニングブック」「手にとるようにIT経営がわかる本」「図解＆キーワードで読み解く通信業界」（かんき出版）、「LANの本質」、「生命保険がわかる本」など。

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