076道東というライフスタイルその2

前回に引き続き、道東の旅行記です。今回は、もうひとつの訪問先、EastSide誌編集長の伊藤肇さんが登場します。

■アイヌの聖地に行く

森末邸の訪問を通じて、僕は人が土地と出会うふしぎを感じました。別の人から見て、どんなにつまらない土地であっても、価値がないように見える土地であっても、ある人が本当に探し求めて出会った土地なら、それは特別な土地、聖地になるのだと思います。

これは半分は比喩的な意味で、個人的な思いによって、個人にとっての特別な土地、森末さん夫婦にとっての聖地が生まれるというのは、本当にあることだと思います。でもそれだけでなく、もしそこが誰かにとって本当に聖地なら、聖なる部分を誰もが実感できる、開かれた聖地になる可能性も秘めている、と僕は思います。

ちなみに、ここでは「聖なる」という意味を、一見普通の場所だと思えなくはないのに、なぜか特別な感じがする、という意味で使っていて、必ずしも神や霊が見えるとか、そういうことではありません。むしろ、なぜか特別、という場所に、人は神を見いだし、社（やしろ）を建て、祈りを捧げるようになったのでしょう。

道東にある、アイヌの聖地のひとつが、屈斜路湖畔にある「クッチャロコタン」です。

アイヌは日本の先住民族の末裔であり、明治以降も北海道に暮らし、独自の文化を保ち続けてきました。そのアイヌの、道東最大級の集落が屈斜路湖にあるクッチャロコタンだったようです。

クッチャロとは川が流れ出る口という意味で、屈斜路湖という湖の名前はこのアイヌ語に漢字を当てたものです。コタンはアイヌ語で村ですね。屈斜路のコタンは、湖の南東岸にあり、釧路川の流出口に近いところでした。今、屈斜路コタンは、民宿やレストラン、アイヌ民俗資料館などが数軒ある小さな観光地兼集落のようなところになっていますが、決して流行っているという感じのところではありません。しかしコタンの湖岸に立って屈斜路湖を見ていると、広大な屈斜路湖とそこに満ちる大量の淡水、そして湖を囲む原生の姿をそのままにした森と山々は、ほかの土地と比べて特別な印象を与えます。屈斜路湖畔は、コタンの近辺のほかは、数か所を別にすれば、山が湖に落ち込んでいて近寄れず、コタンの周辺がもっとも湖に出やすい場所です。しかも釧路川の流出口から川を下れば、100キロを下って釧路まで行ける。つまり川沿いにヒトとモノの交流が容易な場所です。

特別な場所、聖地というのは、心を静かにしてみていると、それなりに納得性があるものです。

アイヌ民族とは何か、日本人が先住民をどのように扱ってきたのかと言ったこともいろいろ考えさせられるのですが、その話はまた次の号にまとめることにしますが、アイヌについて、情報をお持ちだったり、関心がある方は、paco宛メールをください。

■道東という生活

アイヌの聖地というのとは少し違うけれど、今の道東の風景と生活は、ひとことで形容するなら「日本離れしている」という感じです。

大地には高い山や深い谷はあまりなく、ゆったりとうねる丘が中心です。山があるといっても、道東の最高峰クラス、斜里岳や羅臼岳で1500～1600メートルクラス、ほかはせいぜい標高1000メートル程度。そのため、いつも視界が広く、ゆったりしています。

生活の中心は農業という印象で、明治以後に開拓に入ったと思われる農家が点在しています。農家といっても、かやぶき屋根と縁側のある日本伝統の民家はひとつもなく、トンガリ屋根や平屋、外装もけっこうカラフルだったりするような、洋風の家です。欧州、というよりニュージーランドあたりを思い起こさせる理由のひとつは、基礎が低く、家が地面に張り付いている感じがするからでしょう。北海道は雨量が少ないというような記憶はないのだけれど、なぜ基礎が低い感じがするのか、よくわかりません。

農家のまわりには畑が広がっています。ひとつの畑の区画は広く、おそらく3000坪くらいはあるでしょうか。六兼屋あたりのような、里山の水田は300坪がいわゆる1反で、これが何枚ある、という構成になっていますが、北海道のスケール感は、1枚の畑の広さにあるようです。このような畑が1軒の農家に3～10枚ほどはある感じで、畑ごとに同じ方向に畝をつくって作物を植えてあり、それぞれ向きが違っていたりするので、おなじみの「パッチワーク」的な風景になるわけです。

もうひとつ、本州と大きな違いは、水田がないという点で、これは風景の中では「水平面がない」という違いになって現れます。水田は水が入るために、必ず水平につくられ、上流方向から下流方向に、じょじょに階段状になっているのがふつうです。畑は水平を出す必要がないので、もとの地形を生かしながら、そうはいっても起伏を削り、埋め、なだらかな丘状の農地になりました。一見のどかですが、実際に近づいてみると、傾斜は思ったよりきついところがあり、畑の端から上を見上げると、けっこうな落差があったりします。植え付けにせよ、収穫にせよ、この傾斜はけっこうきつそうです。もっとも北海道では機械を使った農業が徹底されているので、あまり問題にならないのかもしれません。

本州の農家は、もともとは一族が集まって住む、大家族的な生活が中心でしたが、北海道では家族単位の生活を思わせます。一家の主夫婦と子ども、そして開拓1世または2世の高齢夫婦。おじいちゃんおばあちゃんも働けるあいだははたらくにしても、基本はあるじ夫婦の労働によって作物を作り、その収穫で生活するという、「SOHO農家」といった感じに見えました。

作物は、夏のこの時期は馬鈴薯（ジャガイモ）、トウモロコシ、ひまわり、小麦、それに牧草と言ったところ。弟子屈周辺に関しては、メロンのハウス栽培もさかんです。牛を飼い、酪農を組み合わせているところが多いようでした。なぜ酪農か？というと、気温が低くい冬でも「農業」ができるからです。

東北や北陸など、本州の寒い地域では、冬は畑も田んぼもできずに生活に困り、近代以降は都市部に出稼ぎに出るという暮らしが続きました。酪農はこの問題を解決できます。牛にせよ羊にせよ、寒さに強い動物で、マイナス40度までは屋外で過ごすことができる。夏のあいだに干し草をつくり、それをえさに冬を越せば、真冬のあいだも生乳がとれ、雄牛を育てて売ることができるのです。

大型トラクターなどを使ってひとりで多くの畑から収穫を上げ、酪農によって四季を通じて農業ができる。しかもその生産単位は、核家族化、核家族プラス高齢の親夫婦という形です。このような形を象徴するのが、街道筋にならんだ、農家の看板です。「山田農場」「斉藤農場」など、名前を書いた大きな看板が各農家ごとにつけられ、一見すると観光農場のようなちょっとおしゃれな雰囲気です。よく見ると看板はすべて同じ形で、「JA摩周」などと書かれているので、農協が積極的に個々の農場をアピールしているようでした。これは本州では見られないことです。

■EastSide聖地への道

さて、周辺の雰囲気がわかったところで、このたびの第二の目的、雑誌EastSideの編集長、伊藤肇さんの「聖地」訪問しました。

EastSideについてはこれまでも何度か知恵市場で紹介しているのですが、改めて紹介しておきます。EastSideは道東のリージョナルマガジンを標榜して編集されている季刊誌で、編集のプロが見ても、非常に質の高い、得難い魅力のある雑誌です。

森末さんはこの雑誌の編集の一部を担当していて、その縁もあって、僕も03号からエッセイを寄稿しています。この雑誌に原稿や写真を提供している作家は、現状手弁当で、僕のところにも本誌が刷り上がったときに10冊、送られてくるのが「ギャラ」ですが、それでもいいから書きたいという気持ちにさせる雑誌なんですね。

なぜこのような雑誌が、道東の田舎町でつくられているのか、その謎に迫るのもこのたびの目的のひとつでした。

その、編集長の自宅兼EastSide編集オフィスは、手しかの市街地から車で15分ほどのところにあります。伊藤さんのところはすごいですよ、本当の北海道、と森末さんから聞いていたので、ちょっとわくわくします。

がらんとした市街を抜け、南に向かう県道にはいると、そこはすでに「原野」です。大地はゆったりと南に向けてうねるように下がり、舗装の行き届いた道の両側は基本的に背の低い低木や針葉樹の森です。この原野に、本当に人の手が入ったことがないのか、それとも何らかかの開発がされたあと放置されたのか、それとも今も植林されているのか、よくわかりませんでした。弟子屈の北、網走方向を走ったときは、植林された森と原生林が混じっていたのを確認できたのですが、このあたりはよくわかりません。

のちに、屈斜路湖に近い川湯温泉のネイチャーセンターで聞いたところによると、明治後、一部の森は伐採されたり、その後、植林されたりしたけれど、ここ40～50年は手が入ってないとのこと。低木が生えているところは伐採されて放置されたのかもしれません。

原野の中に、ところどころ牧草地があります。丘の上まで逆モヒカンのようにトラクターで刈られ、芝生のような牧草が一面に植えられています。牛は放されていたりいなかったりするので、いずれ牧草を刈って干し草にする、いわゆる牧草農場のようです。

原野のあいだに農地や農家がちらっと見え隠れする風景を10分ほど進んだでしょうか。この間、かなり長く感じました。前をゆく森末さんの車が県道を右折、さらに奥地に入っていきます。

■伊藤邸訪問

ついたところは、大きな納屋の奥に小さな母屋がある原野のなかの農場でした。農場に見えるのは、牧草地があり、羊が10頭ほど放されているからです。実際のところ、そこには畑はなく、牛もいないので、この土地と家は誰が何のために住んでいるのか、よくわからない土地であることに、あとから気づきました。

オフィスのある納屋を過ぎ、道具小屋を過ぎ、丘に続く斜面に建つ小さな家が伊藤さんの自宅です。周囲は原野。低木と針葉樹の森が続きます。見える範囲に家はなく、ただ原野です。森が続くので、視界はあまり開けていません。視界が開けているのは、小高い丘を走る道路からか、森を切り、起伏をなくした畑の前後だけだったのだと気がつきます。原野は視界が効かない。

伊藤さんの家は、このあたりの家の文法通り、ちょっと洋風の平屋、日本の農家の風情はなく、ニュージーランドの農場といった方がいいような感じです。室内は、子どものいない夫妻が静かに暮らすには十分という落ち着いたインテリア。はででも地味でもない、とても心地よい空間でした。

■もうひとつの道東スタイル

伊藤さんは東京で編集などの仕事をしてきましたが、10年ほど前にこのちに移住してきました。この地に決める前、山梨や長野など、ほかの土地も探したそうです。しかし、この地を選んだ最大の理由は、人のまばらな感じだったと言います。見える限りの風景に、人の気配がない。家がないだけでなく、農地もなく、自分の家に来るための道と自分たちの敷地にあるものを覗けば、人工物が何も目に入らない。そんな風景がある場は道東にしかなった。

この感じは、六兼屋にいるとよくわかります。里山は「自然」ではなく「人工物」だと書いてきましたが、伊藤邸の周囲は逆に人工の自然すらない原生的な自然に囲まれた場所だったのです。実は、訪問した直前、伊藤邸の奥に、新たな住民が来たのでした。ごくたまにですが、この新居の住人が、伊藤邸の前の道を通っていきます。それは原野にいたはずの彼の生活には大きな変化でした。近くに人がいる。その感覚が彼をとまどわせ、なれるにはずいぶん時間がかかりそうだと笑っていました。

伊藤さんは決して人嫌いの人ではありません。自ら雑誌をつくろうというぐらいなので、取材で人に会う、僕のような人間を受け入れて気軽に話すような人です。でも原野の、人の気配のないところで暮らしてみたかった。それはあこがれと呼ぶべきものなのでしょう。

家から徒歩50歩のところの納屋兼オフィスには、PCが数台並び、編集に必要な作業ができるようになっています。オフィスになっているところ以外の倉庫部分はかなり大きく、EastSide誌のバックナンバーの束が置かれ、伊藤さんがやっている建築の仕事の資材や、知り合いから預かった荷物や、冬のあいだ羊たちのえさになる干し草が積んであります。カントリーライフ。

羊を飼っているのは、妻の千恵子さんが原毛をとり、糸を紡いだり、フェルト作りに使うため。趣味の材料を提供してくれるペットという位置づけです。

同じくフェルト作りをする僕の妻は、ニュージーランドで羊を飼ってクラスのが密かな夢です。そんなこともあり、いっしょに伊藤さん宅を訪ねたのですが、訪問後、「私はそこまでやらなくていいと思った」と話していました。

どんな趣味にせよ、生活の糧にせよ、極めようと思えば、極める奥行きはいくらでもあります。たとえば蕎麦打ちの趣味なら、自分で蕎麦を育て、乾燥させ、実をとり、と言ったことをすべて自分でやってみたいと思うかもしれません。カントリーライフの動機というのは、得てしてそういった「自分の手ですべてやってみたい」ということがはじまりだったりするのです。しかし、いざそのようすを見てみると、「そこまでやってみたい」と思うのか「そこまではいいや」と思うのか、そのレベルにはものすごく細分化されうるもので、個性が出ます。

「カントリーライフ」イコール「自給自足」、つまり＜何もかも自分でする＞という思いこみが普通の人にはあったりしますが、実のところ、「どこまで自分でやるか」という線引きそのものが、その人なりのカントリーライフの形を作るのだと思います。

■ある人は料理を、ある人は雑誌を、ある人は庭を

こうして道東の生活を見てくると、カントリーライフの意味が少しずつわかってくるような気がします。

森末さん夫妻は、新居でレストランをやりたいと考えています。料理人のヤスヨさんは今も札幌で創作的な料理をつくって出す仕事をしていますが、もっと自分の思うような料理をつくりたいというのが、弟子屈の家の大きな動機なのだと思います。彼らの家の1階はコンクリートのままで、ここで手作りの料理を食べてもらうつもりです。「仕事」として料理人をやるのとは違う自分のやり方を実践できる場を、手作りしているわけです。

伊藤さんは建築や建材の輸入をはじめ、いくつかの仕事を経て、自分の思いを発信する雑誌作りというEastSideにたどりつきました。それはまだ終着点ではないかもしれないものの、すべて自分たちの思いが込められた紙面をつくる仕事です。

道東の主役、農場の人たちが何を求めているのかは結局よくわかりませんでした。でも自分たちの生活を自分たちの手でつくらなければならないという、他人やシステムに頼れない感じは共通しているのだと思います。

僕は、ここ六兼屋で何をしているのでしょうか？　知恵市場は、伊藤さんにとってのEastSideと同じ価値があるでしょうが、これは六兼屋に来る前からやっています。ここで一番時間を割いていることと言えば、それは庭造りでしょう。庭造りというとなんとなくじいさんの趣味のような感じもしますが、僕らの場合はどちらかというと「公園づくり」に近いような気がします。この夏、何人かの友人の力を借りて、六角形の洋風あずま屋、ガゼボをつくることができました。少しずつ庭園に近づいています。

自分のやりたいことをやりたいところまで自分でやる。自給自足のように、すべて自分たちでやるという選択もあるでしょうし、一部分だけやるという都合のいいやり方もできます。幅広い選択肢から、自分のあった手作りができるのが、近代以前の田舎の生活とは決定的に違う、今のカントリーライフです。

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渡辺パコ。ライター、デザイナー、コンサルタント、グロービス・マネジメント・スクール講師。
1960年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。85年採用広告プロダクションでコピーライター、クリエイティブディレクターとして広告、会社案内の制作、PR戦略の企画立案などを担当。その後、独立して90年に有限会社水族館文庫を設立。94年から著作活動を開始する一方、Webサイトの設立・運営にアドバイザーとして積極的に参画、ビジネスインキュベーションを担当。雑誌などへの執筆活動も行う。著書に「＜意思伝達編＞論理力を鍛えるトレーニングブック」「論理力を鍛えるトレーニングブック」「手にとるようにIT経営がわかる本」「図解＆キーワードで読み解く通信業界」（かんき出版）、「LANの本質」、「生命保険がわかる本」など。

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