082 Dライフ(10) 北八ヶ岳紀行

この原稿は六兼屋で書いています。秋がじょじょに深まってきていますが、まだ夏の香りがどこか残っています。涼しくなっては来ましたが、寒いと感じることはなく、日差しは弱いのに、外に出てみると意外なほどの暖かさです。

■花の季節

10月の六兼屋は花の季節です。自生のコスモスがめいっぱい咲いています。去年、どこからともなくタネが飛んできて、数本のコスモスが大きく育ちました。そのタネがこぼれ、今年は夏から芽を出して、ハーブの庭がコスモスだらけになりそうでした。庭のはじに場所をつくり、育ちのいいものを移植し、ほかはみんな抜いたのですが、移植したものだけでもかなりの量があって、大きく育ちます。

がっちり育って喜んでいたのですが、先日の台風ですっかりなぎ倒されてしまいました。しかしそこは野の花の強さ、倒れてもなお、そこから花が首をもたげて、ピンクや白の花を咲かせています。倒れてしまったのでいささか美しさはないのですが、たくましさに泡触れています。

春からずっと咲き続けている濃いピンクの花は、チェリーセージ。東京でも鉢植えでよく見かけます。夏の間、我が物顔だったコレオプシスの黄色い花はだいぶ勢いが弱まり、かわりに百日草が色とりどりです。百日草は庶民的な花だし、上品でもないのですが、まるで造花のようにいつまでも咲き続けてくれます。かすみ草を大きくしたようなガウラの花は、夏中咲き続けて今でも白とピンクの可憐な花をつけ続けています。

ガウラもチェリーセージも宿根草で、冬前に枯れてしまいますが、根が残り、来年、初夏に再び芽吹いて花をつけます。宿根草はいったん根が付くと実にたくましい。ガウラは去年の春先に種をまいたものです。たった3本だけ芽が出た株が、今大きく育ちました。

でも、育つ花ばかりではありません。ときどき、植えた植物たちのことを思い出すのですが、そういえばここに植えたと思い出す花の多くが枯れてしまいました。根が付かなかったり、虫が付いて葉を食われてしまったり、梅雨の湿気で根が腐ったり、真夏の暑さで溶けてしまったりします。自然が豊かと言いますが、雑草との競合も激しく、植物たちの生存競争は想像以上のものがあります。

六兼屋の当たりは紅葉はまだ先です。11月中旬でしょう。雑木林で一番先に色づくウルシだけが、少しずつ葉を赤くし始めました。

■白駒池へ

そんな状態なので、先日は紅葉を楽しみに、北八ヶ岳にあがってみました。六兼屋は八ヶ岳の南の裾野です。ここから、南北に連なる八ヶ岳の東の山麓を走る国道141号北に向かい、野辺山、海ノ口、小海と走って、八千穂村から国道299号で八ヶ岳山脈を唯一クルマで越えられるルートを進みます。山脈を越える麦草峠は標高2100メートル。原生林を切り裂いてつくられた、2車線の美しい道です。

この麦草峠の下に、白駒池があります。八ヶ岳は南半分が荒々しい岩山、北半分はすでに風雨に削られ、こけむした原生林に覆われた女性的な景観です。白駒池はむぎ草とお下の下の駐車場から、15分ほど原生林を歩いて降りたところにある、1周歩いて30分ほどの池なのです。

15年ほど前に一度来たことがあるのですが、今回は家族と一緒です。苔むした原生林、澄んだ水は以前とかわらず、ほっとしました。日本ではこういう自然がなんとか守られています。世界の自然環境が、ここ10年で圧倒的な加速度を持って破壊されているのに対して、日本の自然はぎりぎりのところでなんとか維持されています。それ自体、とてもすばらしいことだし、世界に対して堂々と誇っていいことです。

白駒池で紅葉を楽しもうと思ったのですが、少し遅かったようで、すでに池の周囲の白樺はみな落葉していました。それではと少し目的を変え、1時間ほど上った先にある高見石という展望のきくピークをめざすことにしました。体力がない妻子もいっしょなので、無理はせずにと思い、きつかったらいつでも引き返すといって登り始めました。

■高見石へ

白駒池からの登りは実際かなり急坂で、しかも足場はごろ岩が連なり、下から目が離せない上、歩幅も調整が難しい状態。ところどころ丸太や板を岩の上に敷いて、木道がつくってあるのですが、苔むした原生林の中は湿気が多く、腐ったり滑りやすかったりするので、岩とどちらが上りやすいのかわからないような状態でした。

子どものペースに合わせて、息が上がらないように、牛歩のあゆみで上っていきます。会話がとぎれない程度の、ハアハアしないペースが大事です。

周囲の原生林は深く、松やモミの仲間であるトウヒやシラビソ、ダケカンバの森が続きます。自然に倒れた倒木が多く、その上にこけが生え、さらに木々の苗が芽吹いてい、生命が更新されている様子がわかります。

その苔むした、静謐とした、しっとりひんやりとした空間は、とても日本できな多湿な自然です。この自然を美しいと思うところが日本人の心の原点なのだと少し思いました。

アフガニスタン人は、岩と砂、遠くに高山が連なる荒涼とした風景を「世界で一番美しい」と言います。彼らにとってはそれが美しい風景なのでしょう。僕らにとっては、この原生林の水っぽく、少しべったりひんやりした空気感、あふれる濃密な緑が美しい。たぶんこの濃密さは、アフガン人には、美的感覚を呼び起こさないのだと思います。

白駒池までは、観光バスを国道沿いにおいて降りてきた団体旅行のおばさんたちがけっこういたのですが、高見石まで登る時間は、与えられていないのでしょう、高見石へ登る登山道にはほとんど人も通りません。ペースを変えないように、ゆっくりとの登ること50分、高見石小屋に到着。この小屋の裏手に、「高見石」があります。

高見石。それは、巨石がごろごろと積み上がってできた岩の山でした。どうしてここだけ、これほどの岩がごろごろと積み上がっているのでしょう。海岸沿いの巨大なテトラポットのようにしたがのぞけそうな岩です。隙間に落ちたら、死ぬことはないにせよ、骨折してけっこうおおごとでしょう。積み上がり具合も急で、おとなでもマジによじ登らなければあがれない、けっこうコワイ空間です。娘の身体を支えながら、これもていねいに登っていきます。

標高差50メートルといったところでしょうか、小屋から「岩山」を登り切ると、パノラマ世界が待っていました。すぐ下には今登ってきた白駒池が小さな宝石のように原生林に浮かび、その向こうには緩やかな北八ヶ岳の山々が連なります。かすみの向こうには見慣れた南八ヶ岳のとんがった稜線も見えます

目を転じると、遙か下には佐久平の平野、その向こうには浅間山が噴煙を上げています。さらに振り返ると、北八ヶ岳の峰峰、茶臼山、縞枯山（しまがれやま）、蓼科山が続き、ゆったりとした起伏を原生林が覆っているのがわかります。八ヶ岳の原生的自然は、北アルプスのような奥深さはありません。見える範囲の、小さな小庭のような自然です。原生林が切れた下には、都市機能が充実した観光地や別荘地が広がっています。その上に、大都会の空中庭園のような静かで美しい自然が、そっと存在しているのです。

■ひっそりと維持される自然

ある意味、はかない。ある意味、したたかな自然。中信国定公園に指定されて、開発が規制されている地域なので、自然が残るのはあたりまえ、なのでしょうか。たぶん違うのだと思います。この山を愛し、守っている人たちが、現代日本にもちゃんといるから、維持されているのだと思います。

国道から白駒池に降りる歩道は、交通量が多いため、原生林との境にテープがあって入らないようにしてあります。前述の通り、高見石へ登る林道は木道が整備され、その下にさらに朽ちた木道があるところから、何世代にも渡って、登山道として整備されてきたのです。僕は登山をやらないのでわかりませんが、八ヶ岳の縦走路の一部にあたるこの道は、ピーク時はかなりの量の登山客が通るのでしょう。

高見石小屋は1泊7200円。ソーラーパネルの発電装置があり、僕らのような不慣れな登山客に温かいコーヒーを400円出だしてくれるし、トイレもあります。トイレはバクテリアで分解し、使った紙は別にしてください、燃やしますと書いてありました。原生林を壊さないように、でも文明の恩恵からはとても近い場所です。何しろ、10トントラックが通れる国道から、ユルユルした山道をたった50分歩くとつく原生林なのです。入れようと思えばどんな文明だって入れられる場所に、あえて文明を制限し、それ以上いらない、抑制的な空間を作っている。

文明に近く、なんでも手に入れようと思えば入るからこそ、いれないと思える。この感覚は、とても坪庭的、空中庭園的でした。この空間を、空中庭園にしておこうという待ったりとした、でも強い意志がなければ、維持されないのではないかと感じたのです。

高見石小屋から国道への下りは、傾斜も緩く、歩きやすい下りでした。原生林の中の小道ですが、十分な広さがあり、道の脇の木には赤いリボンが定期的についていて、雪山でも迷わない工夫がされているのがわかります。自然のど真ん中にありながら、人間がていねいに管理している空間に守られて、僕らのようなとにわか登山家がのんびり歩けるのです。

この道の両脇の原生林は、木々が細く、密生していて、どことなく元気がありませんでした。太い木は立ち枯れていたり、根からごっそり抜けて倒れたりしているものも多く、これは健全な原生林なのか、ずっと考えながら降りてきたのですが、今のところよくわかりません。何か不健康の理由があるような気がしました。

国道に出て、クルマに戻ると5時。もう観光客はほとんど誰もいない夕暮れ時になっていました。麦草峠に着いたのが1時過ぎですから、4時間ほどでひとまわりしたことになります。ほどよい自然の味見でした。

麦草峠からは来たほうに戻らず、峠を越えて西側の蓼科に抜けます。国道299号の愛称はメルヘン街道。その名にふさわしい見事な紅葉です。八ヶ岳の東側はまだ紅葉が始まっていない感じでしたが、西側の斜面はすばらしい紅葉だったのです。夕日に映えて、赤や黄色の葉がさらに美しく染まり、本当に日本の美しさだと何度も心で思いました。静かに心にしみていくような美しさでした。

麦草峠から蓼科を抜け、中央高速諏訪南ICで高速に乗り、六兼屋のある長坂ICへ。峠からちょうど1時間。大きな秋が見つかった小さな旅でした。

■土地の価値を知らない人々

この旅にはちょっとした後日談があります。

六兼屋からほど近いところで、六兼屋の家を建ててくれた北伸建設がまた新しい家を建てていて、翌日、そこで旧知の現場監督、黒岩さんと会うことができました。六兼屋を建てるのに大変お世話になった好青年です。

p「昨日、白駒池にいってきたんですよ、紅葉きれいだったよ」
k「どこですか、それ？」
p「黒岩さん、野辺山じゃないですか。野辺山を通って、小海を抜けて、八千穂村から国道299号をあがるんですよ。その上の峠が麦草峠。そのすぐ下に白駒池があるんです」
k「そうなんですか」
p「いったことないの？」
k「仕事ばっかりしてますからねー」
p「だめだよあそばなくちゃ」
k「ははは～」
p「あそこの原生林はすごいよ、本州であれだけ残っているところは案外少ないと思うし。なんだ、地元の人は知らないんだね」

黒岩さんは清里の隣、長野県側に入ってすぐの野辺山の出身で、今もそこに家族と住んでいます。八ヶ岳の厳しい自然とともに、家族親戚と住んでいる人なのに、北八ヶ岳の美しさを知らない。やっぱりなあと思いました。

それと同時に、あの北八ヶ岳の自然を守っているのは、あの高見石小屋のあるじのような、慎みを持って守っているのは、いったい誰なんだろう？という気もしました。都会生まれ野山好きなのか、地元生まれ野山好きなのか、それとも環境省や国土交通省や、長野県庁なんでしょうか。それとも北八ヶ岳の美しさを愛する、登山客の情熱なんでしょうか。

あるいは、「守る」という法律ができれば、きちんと守るのが日本人なんでしょうか。

僕には結局よくわかりませんでした。

いずれ、こういう部分にも知識を広げていきたいと思いつつ、でもそんなことより、あんなに美しい原生的な自然が、21世紀にも守られていることを素直に喜びたいと思っています。

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今回は、前回の続き、ワークショップレポートの後半をお届けしようと思って書き始めたんですが、結局「前書き」だった北八ヶ岳のレポートで終わってしまいました。ワークショップはまた次回にします。

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渡辺パコ。ライター、デザイナー、コンサルタント、グロービス・マネジメント・スクール講師。
1960年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。85年採用広告プロダクションでコピーライター、クリエイティブディレクターとして広告、会社案内の制作、PR戦略の企画立案などを担当。その後、独立して90年に有限会社水族館文庫を設立。94年から著作活動を開始する一方、Webサイトの設立・運営にアドバイザーとして積極的に参画、ビジネスインキュベーションを担当。雑誌などへの執筆活動も行う。著書に「＜意思伝達編＞論理力を鍛えるトレーニングブック」「論理力を鍛えるトレーニングブック」「手にとるようにIT経営がわかる本」「図解＆キーワードで読み解く通信業界」（かんき出版）、「LANの本質」、「生命保険がわかる本」など。

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