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■対話の中で考える 前回書いた「まず未来から考える」に対してcom2MLでいくつもコメントがあったのがとてもうれしかったです(^_^)。自分が発信したことについて反応があるのはそもそもうれしいことなのですが、僕の場合は特に、思いついたら未完成なうちから人に話してみて、返ってくる反応を足がかりにさらに考えを進める人間なので、コメントがあるのはうれしいのです。 で、コメントの中に「奪い合う世界から持ち寄る世界へ」というのがわかるようなわからないような、というのがありました。そこで今回はこれについてもう少し考えを進めてみたいと思います。例によってまた「未完成」です(^_^)。 本題に入る前に、そもそも今回のようなことを考えたきっかけについて書いておきたいと思います。このころ小泉首相が話しているのをテレビで見ていたら「何が日本の国益にかなうのかをよく考えて...」と何度も言っていた。これがとても悲しかったんです。それが一番先に来ちゃうのか。 近所の人同士がけんかしている。それぞれが「おれが正しい」と言っている。そこでどちらに味方するかを、どっちが「得か」で決めると言っているのと同じに聞こえた。そうせざるを得ないこともあるでしょう。でも、まずは「何が正しいか」を考えた上で、現時点での最善策と、長期的に理想に近づくための策の両方を考えていくべきだよなあと思ったのですね。 ■持ち寄るイメージ1 ~まさにみんなで持ち寄る さて、持ち寄る、という言葉で言いたかったのはまず、何かをやるためにみんながいろいろ「持ち寄っている」という状況を多く作りたい、ということでした。たとえばパーティやピクニックをやる時にそういうやり方をすることがありますね。飲み物を持ってくる人、サラダを持ってくる人、おにぎりを持ってくる人、揚げ物を持ってくる人、デザートを持ってくる人...。それぞれの得意技が集まると楽しみが増えます。 それと同じような感覚でものごとをもっと出来るんじゃないか、と思うのです。たとえば知恵市場でpacoさんが環境の話をよくしていますが、pacoさん一人でしているわけではなく、原子力に詳しい人が技術的な話を、エネルギーの会社の人が供給側で見ていることを情報提供してくれています。また消費側として環境問題への取り組みを行っている企業の人も同様ですね。それをpacoさんがコミトンその他の形に編集している。 僕の場合も似たようなことをやっています。「英語のシャワー」について「こういうことをやりたい」と言っていたら、場所を貸してくれる人、講師やTAをやってくれる人、ゲストに来てくれる人(外国人)、ホームページを作ってくれる人、さらにうまく行かせるためにフィードバックをくれる受講生、口コミをしてくれる受講生などなどがいろいろ持ち寄ってくれました。もちろんお金を払っていたりそれ以外のメリットがあったりということもあるんですが、それだけでなく「持ち寄って」何かをつくっている感覚があります。 こういった感覚でたとえば教育、あるいは医療、メディアというように、さらによい方向に持っていくための取り組みが行われると、社会が少しずつ変わっていきそうな気がするのです。国際的にはこれが、どこかの地域のかんばつ問題だったり、病気の問題だったりするかもしれません。ここで起きているのは(1)未来像や問題意識を共有した人たちが、(2)何か提供できるものをそれぞれ持ち寄って集まって、(3)何かを実際に作ったり変えたりしている、ということです。 ■持ち寄るイメージ2 ~奪い合わない ところで、上に挙げたかんばつの問題などが出てくると「それはその国だけの問 前に韓国人からおもしろい話を聞いたことがありました。6人の人がいてそこに小さなお菓子が10個入った箱がまわされたとします。日本人はその場をざっと見渡して「とりあえず1個だな」と自分が取ってもよい数を見極め、取ってまわすと。これに対して韓国人(その人によると)はそんなことをせずに欲しいだけ取ってまわし、途中でなくなって「ないよ!」と言われたら「ああ、あげるよ」と返すそう。最終的には分けているんですが、先に場を見渡す日本人の感覚の方が僕は好きです。その感覚を地球全体に対して持てるといいなあと思うわけ。 もちろんこれは簡単ではないと思います。でも、世界の中で最も変える余地のある環境にある人たちがまず動き出すべきでしょう。たとえばエネルギーの問題。おそらく現状、日本やアメリカのような国々が一人当たりにするとかなり多く使っているはず。一方で地球にかけられるエネルギー負荷はきっと限度がある。そこで上に挙げた例のように、人数割りしてちょうどいいように今から考えていく。 このために必要なことは大きく分けて二つあると思います。一つは「満足する」こと。世界で最も豊かな国なのだから、いいかげん、カネやらモノについてはそろそろ満足してよいのではないか。「しかし、そんなに豊かだとは思わないし将来も不安だ」という反論が返ってくるかもしれません。その感覚はよくわかります。そしてここはじっくり考えていきたいと思っています。 ただ一つだけ挙げておくと「これだけ統計的には豊かであり、かつ世界の中で群を抜いている(日本だけでなく先進国全般)のに豊かであると感じられないということは、そもそもそれ自体が現状路線の問題を示しているのでは?」ということです。われわれは水槽の栓を抜いたまま水を入れるようなことをしているのではないか。あるいは見当違いなところに水を入れているのかもしれない。 もう一つ必要なことは効率を上げることです。たとえばエネルギーの問題では、同じだけのエネルギー負荷でも効率が上がっていればより多くのものが得られます。 「でも、それと世界平和とどう関係あるの?」と思う人がいるかもしれません。一つは、争いの大きな原因が「限られたパイを奪い合う」という世界の状態にあると思うからです。たとえば湾岸戦争のはじまりも石油をめぐるパイの奪い合いだった。「でも自分だけが小さいパイに甘んじても他の人が争っていれば戦いはなくならないよ」という反論がありそうです。確かに。しかし、仮に日本が今の1/10のエネルギーで足りてしまうとしたら、もっと「何が正しいか」で意見を言えるのでは。今の国際社会は「先進国」も含めて、まだまだ正義よりも損得で動いています。それがもっと「正義」とか「公平」の方向に動き出せる「先進国」(今度は違う意味ですね)が増えだしたら、世界は一つ上の段階に足を踏み出すことになると思うのです。そしてその大きな鍵は「足りること」を知る人たちが世界のリーダーの中にどれだけ出てくるかだと。 この感覚が必要なのは資源の話だけではありません。市場についても同じことが言えます。今、世界で唯一伸びている大きなマーケットとして中国、特に上海が注目されています。そこに経済のトップランナーたちがわれ先とかけつけて市場を席巻しようとしている。一方で、中国がやがて強烈な競争力を持つようになり世界市場を制覇するのではないかと各地で恐れられている。この流れでは、ごく一部の人たちを除いて世界は「豊か」になりそうにないと感じませんか。奪い合いは激化するだけだと思いませんか。 もちろんこれを変えるためには「足りることを知るべし」と唱えるだけでは不十分でしょう。そんなおしとやかなことをしていたら、自国の市場は海外からの競合に席巻され、海外の市場からは締め出されてしまう、という声もあると思います。しかし、これらに対する対策を書き始めると長くなるし、一人で考えるよりもみんなで考えた方がよさそうなので、今回はまだ踏みこまないことにします。でも一つだけ。 単純に考えれば、それぞれ自分が生きていくために必要なものは自分のところでまかなうようにできていれば、なんの争いにもならないはずです。もちろん鎖国時代に戻るというのも進歩がないし非現実的でしょう。でも、ベースとしては自給自足が成立している状態というのは考えるべきでは、と思っています。そうなると輸入や援助に依存している国だけでなく、輸出で食っているところも真剣に考えなければならないことになりますが。 ■持ち寄るイメージ3 ~それぞれが顔を持っている コミトンに対して「地域社会の観点から反対」という意見がありました。「これいいよ~。使ってー」とあちこちに持ち込んでいるうちに、その地域の産業は失われ、地域の特徴もなくなってしまったとなりかねない、ということだと思います。 この懸念については実は僕も同感です。持ち寄りはそうならないように行うべき。別の言い方をすると、持ち寄り続けられるように持ち寄るということです。上のような状態では持ち寄りがどこかで終わってしまいます。ちょっと説明します。 僕の住んでいるところでは最近、古くからの店が廃業して、そこに大手の飲食・小売チェーンが店を出し始めています。それを見ていて感じるのはまず、「これがあちこちで起きていたら、どの商店街も同じに見えるようになっちゃうな」ということです。そうなったら「うちの町はおもしろいよ」と持ち寄れない。これが極端に進めば、どうせ同じだから旅行に行ってもしょうがないや、ということになります。 次にそこで働いている人たちを考えてみると、自分でいろいろ考えてやっていた店主から、本部から用意されたマニュアルに従って動く労働者にかわっています。チェーンでも自分なりの工夫はいろいろあるでしょうし、店主でも親の代からの惰性でやっている人もいるでしょうが、やはり自分の味を出せる余地は全然違う。また今の状態は、街全体の雰囲気に照らしながら街づくりに店を「持ち寄る」状態ではない。もっと、それぞれの参加者、特にそこの人たちが、その地をつくっていく、という持ち寄り状態をつくりたい気がします。 これは世界でも同様です。そこの人たちが主体となって「こういうふうにしたい」というのを考える。現実にはこれ自体が「持っていないものは想像できない」とか「わかりやすかったり、楽だったりするものに目を奪われて本当に必要なものを見失いがち」等々とても難しかったりするようです。しかし、そのプロセス自体を人類の進化のプロセスと捉えてしつこくやっていくべきなのでは、と思っています(聞く話から想像しているだけなのですが)。 つくりたいものが描けてきたら、実現に必要で、現地では手に入らないものが世界中から「持ち寄られる」。でも、最終的には地域で完結できるようにしていく。そしてその土地を訪れたとき、その土地の顔を感じられる、となると、その国や地域が世界に何かを「持ち寄っている」という状態だと思うのです。 僕が今、イメージしている持ち寄る世界はこんな感じです。前よりも具体的にイメージしやすくなっているとうれしいと思います。そしてたぶん、難しさも前より具体的にイメージできていることと思います。するとその壁の大きさに「こんなことできるわけないじゃん」と感じてしまうかもしれませんが、「具体的に見えてくるほど解決策を考えやすくなる」と僕は考えています。そして性急になってはいけないのでしょう。じっくり、じっくり進んでいくと。
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