158P イラク開戦の根拠と疑惑

今週もイラク問題です、といっても、人質の話ではなく、もっと前、去年、米英が開戦を決める前からの、英国での話です。

ブッシュ政権がイラクとの開戦を準備していていた頃、盟友のブレア英国首相もブッシュ政権とともにイラク開戦を準備していました。一昨年、2002年9月、ブレア政権は議会に「イラクの大量破壊兵器についての報告書」を提出し、この報告を主な根拠にして、昨年3月、イラク攻撃を始めました。しかしこの報告書が「操作された」という疑惑が持ち上がり、疑惑を報道したBBCと政府との間で激しい論戦が行われました。またそのさなか、渦中の人である国防省ケリー博士が2003年7月に自殺、という事件にもつながりました。

イラク戦争は今泥沼の状態に入りつつあり、日本ももろに影響をかぶっているところですが、イラク戦争とはなんなのか、政府が国を戦争に導く過程について考えるという点で、今回の「疑惑」はとてもよい題材になると感じています。

このコミトンは、今年1月21日、政府から「問題報道」と攻撃されていたBBCドキュメンタリー番組を事実関係の情報源に使っています。あえて他の情報源は使わずに、このドキュメンタリーのみをベースにして、戦争と情報について考えてみたいと思います。なお、このドキュメンタリーは、疑惑を調査する独立調査期間「ハットン委員会」での証言と、BBCの内部調査という公表された事実を元に作られ、ドラマ仕立てのドキュメンタリーとして放送されました。日本では4月27日にNHK BS1で日本語に翻訳されて放送されています。番組のビデオを見たいという方は、個人的にお貸しすることができますので、pacoまでメールをください。

今回のコミトンは、前半で、番組から情報をなるべく忠実に抽出した論点の整理を、後半で、僕自身がそのことの意味を解釈してみたいと思います。

■BBC番組「イラク報道の真実（A FIGHT OF DEATH）」

●「イラク報告書」疑惑の争点

今回の疑惑の論点は、2002年9月に、英国国防省の「統合情報委員会」が作成した「イラクの大量破壊兵器報告書（IRAQ'S WEAPONS OF MASS DESTRUCTION）」に対して、政府が情報操作を行ったのかどうか、という点にあります。

統合情報委員会は60年の歴史を持つ国防省の情報機関で、国家の安全に関わる情報を収集、判断して、政府に対して報告する役割を果たしています。この委員会は情報を収集し、客観的に判断して報告することを目的としていて、その報告を元に政府や議会が危険性を判断して、場合によっては開戦などの判断を行う、という位置づけです。今回の事件では、イラクに差し迫った脅威があるのかどうかについての情報を収集し、脅威の程度を説明することが役割になります。

一方、政府は、もしイラクに大きな脅威があれば、場合によっては武力に訴えてでも排除するという決断をする立場にありますが、大きな脅威があるかどうかは、統合情報委員会が判断する、という関係になると考えられます。

そういう関係の中で、もし、「イラクに戦争を仕掛けたい」という意図を政府が持ち、その意図をもとに統合情報委員会に対して「国民が戦争を納得するぐらい、インパクトがある情報と結論を出せ」と＜指示＞し、統合情報委員会もそれを受け入れて、情報をねじ曲げて「イラクは差し迫った脅威だ」という報告を行えば、統合情報委員会は本来の役割を果たせないことになるし、政府は役割を逸脱して国民を欺く行為を行ったことになります。BBCの疑惑報道は、「政府は国民を欺いた」と言わんばかりの報道だったために、問題が大きくなりました。

結果から言うと、この疑惑をあとから詳しく調査した「独立調査委員会（ハットン委員会）」は、BBCの報道は間違っていたと結論づけていて、BBCは会長などが辞任しました。しかしハットン委員会の結論が出てからも、ブレア政権が情報操作をした疑惑は消えず、議会に舞台を移してさらなる調査が続いています。

●「イラクの大量破壊兵器報告書」の情報は操作できたのか？

上記のような政府と統合情報委員会の関係については、委員会の前会長であるブレイスウェイトは次のように証言しています。

「大衆に受けるように、文書に手を加えるのは統合情報委員会の役割ではありません。事実を曲げるわけではないにせよ、特定の印象を植え付けることになり、情報の正確性が失われてしまう」

また、統合情報委員会のような情報機関が扱う情報は、基本的に結論を白黒つけるのが難しいものが多く、「一方ではAであるが、他方ではBという見方もできる」となるのが普通だと述べています。つまり断片的な情報をかき集めて信頼性を判断していけば、白か黒かの結論は容易につくものではなく、複数の可能性の中から、より高いものを選ぶ、という形になりやすいというわけです。もし「Aであるが、Bかもしれない」という結論になれば、それを元に開戦するのが適当かどうかという判断が紛糾することになり、政府にとっては結論が出しにくい結果が待っています。そこで、わかりやすい結論になるように、統合情報委員会の結論に影響を与えたかどうかが問題になります。

通常、統合情報委員会は政府とは独立した機関ですが、今回のイラク問題に限っては、例外的に、ブレア首相のキャンベル補佐官とその部下が、委員会の会合に出席することが認められていました。このこと自体が疑惑を生む大きな出発点になります。

統合情報機関のメンバーのひとりは次のように証言しています。

「政府のマスコミ担当者ははっきりした情報を求めるが、情報そのものははっきりしたものであることは少ない。報告書作成にあたって、キャンベル補佐官の発言を認めたことで、統合情報委員会は一線を越えてしまった。」

この「一線を越えてしまった」というところがひとつのポイントです。本来なら関わらない首相官邸のスタッフが、今回は関わっている。

●首相官邸チームは統合情報委員会にどの程度、影響力を持っていたのか

ではブレアの側近、キャンベル補佐官とその部下は、統合情報委員会の報告書作成チームのミーティングに参加し、報告書の進展具合にいらだちを感じていたことが、部下が発信したメールから明らかになっています。

「大半が状況証拠に過ぎず、説得力が不足しています。フセインの（破壊の）意図を示していると報告書の読者に納得させる必要があります」
「官邸側はできる限りインパクトがある報告書を作るよう求めています。各部署は適当と思われる情報はどんどん寄せてください」

キャンベルチームはフセインの生物化学兵器の数などを具体的に盛り込むことで、報告書にインパクトを与えたかったのですが、情報は思うように集まらず、他の関連部署に向けて「報告書に盛り込むに値する情報をどんどん寄せるように」と指示を出しています。本来は統合情報委員会が独自に情報収集し、判断することについて、ブレアの側近がダイレクトに指示していることがわかります。しかし、その指示が「イラクに脅威があると書け」といっているのではなく、「もっと情報を集めろ」といっているだけですから、「監督する立場として当然の指示」だということになります。一方、統合情報委員会の内部では、委員会以外の外からの圧力があったと感じているスタッフが増えていきました。

ブレアの側近であるキャンベルが、統合情報委員会にかけた圧力が「イラクの脅威を誇張せよ」というメッセージだという証拠はないにせよ、本来は関わるべきではない人物が「もっと情報を集めろ」と指示を出しているという事実を、委員会のスタッフがどのように受け止めたのかは、番組（調査・証言）では示されていません。

●1週間前に書き換えられた

報告書作成の最後の1週間に、報告書は大きく書き換えられます。今回の疑惑の争点になった「フセインは45分以内に大量破壊兵器を使うことができる」という内容が前面に押し出されたのです。

＜45分以内に実戦配備できる兵器が存在する＞（報告書）

しかし、この情報と根拠になった情報は、あまり信頼が置けるものではありませんでした。報告書の他の情報については、ほとんどが複数の情報源を根拠としているのに対して、この「45分以内」という情報は情報源がひとつしかなく、しかも伝聞情報でした。さらに、内容も微妙に異なり、

＜45分以内に生物化学兵器を発射できる可能性を示唆している＞（オリジナルの伝聞情報）

というものでした。上の報告書の表現と比べると、オリジナルのほうがあいまいな表現で、そのあいまいな表現をもとに断定的な表現に書き換えられたものが報告書に掲載されたことがわかります。つまり一番重要な情報が根拠として不十分で、しかも表現が書き換えられていたことになります。

この「45分」という情報は、統合情報委員会のスタッフは、信頼性に欠けると考えられ、あまり重視してこなかった部分で、しかも報告書の最終案に大きく盛り込まれると知らされていなかったものも多くいました。報告書が公表されてから、その内容に違和感を感じた人は、委員会のスタッフにもいたということです。

この部分の表現の書き換えに、ブレア側近のキャンベル補佐官が直接関与したかどうかは番組にはありませんでしたが、報告書の最終稿で、キャンベル報道官が報告書の数か所に渡って、「表現をこのように変えてほしい」と手を加えて、統合情報委員会の委員長に提案し、委員長がそのまま同意した、という事実はわかっています。

このキャンベルの影響力を「アドバイスとその同意」と見れば、「委員会はキャンベルの助言のもとに自主的に判断した」ことになり、事実、キャンベルも委員会のスカーレット委員長もそのように表現しています。しかし、それが「真実」なのかどうかの判断は、とても難しい判断といえます（後述）。

●「45分」の波紋

「45分」という表現を盛り込んだ報告書が完成し、発表を前にして、首相側近は次のようなメールを送っています。

「報告書の発表後の新聞の見出しは、どのようになるだろう？　我々にとってどのようになるのがいいだろう？」（パウエル首席補佐官→キャンベル補佐官あてのメール）

報告書が社会に与える影響を強く認識し、報告書を政治の道具と考えていたことが示唆されています。その報告書に、キャンベル補佐官が影響を与えていた。そういう関係です。

ブレア首相が議会で報告書を読み上げたあとの新聞・マスコミには以下のような見出しが踊りました。

「化学戦まで45分」
「フセイン45分以内に攻撃可能」
「イギリスは45分で破滅の運命に」
「キプロスの英軍と観光客は、化学兵器で全滅しうる」

報告書の根拠になった伝聞情報が示していたのは、英国軍が駐留するキプロス島（東地中海に浮かぶ島国。リゾート地でもある）が射程に入ると言うところまでで、ロンドンが攻撃対象になるとまでは示されていませんでした。しかしマスコミの見出しは上記のようなものになり、英国全土がすぐに攻撃されるかのような表現が踊っています。

衝撃的な情報によって、報告書の細部が吹き飛んでいることがわかります。このあたりは、マスコミの問題点が示されていると言えます（後述）。

●首相補佐官が影響を与えたと言えるのか？

番組は、このあと、BBCがこの疑惑をどのように取材し、放送したのかと言うところにも焦点を当てていくのですが、それについてはまた次号で書こうと思います。今回は、事実関係についてもう少し絞っていきます。

この報告書と、その結果のマスコミの報道以後、英国の世論はイラク開戦に傾いていき、翌年3月、イラク戦争が始まりました。初戦は米英軍の圧倒的な勝利で終わりましたが、報告書が指摘した大量破壊兵器は見つかりませんでした。その後の経緯については、今まさに進行中です。

報告書がイラク戦争開戦に大きな影響力を持ったことは事実です。ではその報告書に、ブレア政権が影響力を与えたと言えるのか？

報告書作成に関わったスタッフの証言です。
「マスコミ受けのための誇張だと感じた」
「情報機関以外からの影響を受けていると感じた」
「フセインが45分でキプロスをねらえるというくだりに疑問を持った」

一方、キャンベル補佐官の証言。
「説得力のある報告書ができるはずなのに、できていないと考えていた」
「事実をねじ曲げる意図はなかった」

さて、以上が「45分以内に大量破壊兵器が配備可能」という報告書が作成された経緯です。

このことから、僕らはどのようなことを知ることができるのでしょうか？

■真実とは、どのようなものなのか？

僕が第一に感じるのは、「真実」のあいまいさです。事実として言えるのは、通常は関わらない首相官邸のスタッフ（首相補佐官）が、統合情報委員会に関与したということまでで、そこから先は「影響を与えようとする意図があったのか」「与えたとしても委員会は本来の趣旨に反して行動したのか、それとももともとそのような報告書になるはずのものだったのか」「影響を与えるというその意図はどのようなものだったのか」などについては、キャンベル補佐官側、委員会側ともに、疑惑を否定できるぎりぎりの発言をしている印象で、巧妙に隠されています。つまり証拠が残らない方法か、あるいは言外ににおわせるといった方法で、圧力をかけた可能性はあっても、それをはっきりさせることは非常に困難だということです。何を真実というかは、非常に相対的で、関わった個々人の考えにも大きく影響してしまう。「ぎりぎり公正だった」ということもできるし、「実質的に強い圧力があり、屈した」と見ることもできるでしょう。どちらの立場をとる人も、それぞれがお互いを非難することができそうですが、決定的に打ちのめすことはできないのです。

つい数か月前に行われたことでさえ、真実を明らかにすることは困難だということがわかります。ましてその真実をあいまいにしておきたいと関係が双方が考えていれば、よけいに曖昧になっていく。

この疑惑は、歴史に残る疑惑になるでしょうが、歴史とはこのようなどちらともとれる「真実」の積み重ねの上に編まれていくのだということを、僕らは学ぶことができます。

■マスコミの問題点

第二に、マスコミ報道の問題点です。「45分以内」と報告書に書かれていたとしても、「できる」ことと「実際にやる」ことは違うし、実際にやったとしても、キプロスに打ち込まれることとロンドンに打ち込まれることも違う。キプロスに打ち込まれても、それが実際に「全滅」「火の海」になるかどうかはまったく別です。

日本ではオウム真理教教団が地下鉄でサリンをまきましたが、彼らの意図は首都を壊滅させるぐらいのインパクトでした。しかし、実際の地下鉄サリン事件は、死者は12人。大事件ではありましたが、大戦争とまでは言えません（もちろん、そのこととオウム真理教の罪の重さとはまったく別の話です）。生物兵器、化学兵器は、効果的に使うのが意外に難しいというのが軍事の専門家からも指摘されていて、配備できることと実際にどこでどのぐらいの被害が出るかは、まったく別のこととしてきちんと分析する必要があったのです。

もしキャンベルや首相官邸チームが、報告書がインパクトのあるものになれば、こうした細かな分析は吹き飛び、扇情的な表現があふれるということを知っていて、報告書に影響力を与えたとすれば、まさに政府による情報操作の成功例ということができます。

マスコミが扇情的な報道するということ以上に、そういう報道を冷静に見て、踊らされない市民であったかどうか、という問題だと考えることもできます。僕が知恵市場で繰り返し考えているのは、こういう部分です。

■民主主義の問題点

このことは、民主主義そのものの問題点を示唆しているとも言えます。

本格的な民主主義国家が生まれて200年と少し。民主主義を作った人たちは、民主政府同士では戦争はなくなると考えていました。多くの大衆は、戦争で死ぬのを望まないから、というのが、その根拠だったのですが、現実のここ200年の歴史は、それ以前よりさらに激しい殺戮が繰り返されました。

なぜ、民主国家がとんでもない戦争をしてしまうのか。その答えのひとつとして、今一部の識者が想定して仮説が、国家が戦争の意図を実現するために、世論を扇情的にあおり、戦争に賛成させるという考え方で、通常「陰謀史観」と言われています。もし、今回のブレア政権の行動が「意図されたもの」だとすれば、まさに巧妙に仕組まれた扇情的な情報操作、ということになります。

僕は、最近の研究の中から、「民主国家が、悪意のある意図を実現するときにとる行動を、陰謀と呼ぶ」という仮説に傾きつつあるのですが、まだはっきりと結論が出せていません。

この仮説が正しいにせよ、正しくないにせよ、ひとつはっきりしているのは、民主国家が民意の名のものとに、公正とはいえない戦争や殺戮が行うことがあるという事実です。民主主義という政治制度を、これから僕らがどのように制御していくことができるのか？　重たい課題に向き合いつつある21世紀初頭です。

この記事に関する感想や意見、またこの記事に対する評価をおまちしています。こちらのページから、お気軽にお寄せください。コミトンはあなたの意見でもっとおもしろくなります。

渡辺パコ。ライター、デザイナー、コンサルタント、グロービス・マネジメント・スクール講師。
1960年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。85年採用広告プロダクションでコピーライター、クリエイティブディレクターとして広告、会社案内の制作、PR戦略の企画立案などを担当。その後、独立して90年に有限会社水族館文庫を設立。94年から著作活動を開始する一方、Webサイトの設立・運営にアドバイザーとして積極的に参画、ビジネスインキュベーションを担当。雑誌などへの執筆活動も行う。著書に「渡辺パコの35歳からは好きなことでお金を稼ぐ」「環境経営の教科書」「人生に役立つ論理力トレーニング」（幻冬舎）「＜意思伝達編＞論理力を鍛えるトレーニングブック」「論理力を鍛えるトレーニングブック」「手にとるようにIT経営がわかる本」「図解＆キーワードで読み解く通信業界」（かんき出版）、「LANの本質」、「生命保険がわかる本」など。

☆ポートレイト撮影：川口愛

mail:paco@suizockanbunko.com