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photo by Toshi.

 

ちょうど今、com2MLでは、ライフデザインのディスカッションをやっていますね。その中で「自分の好きなことがなかなかわからない」という声がけっこう出ています。僕自身もかつてそう思っていたし、今でも世の中でいう「好きなこと」「寝食忘れて取り組めること」はないので、その感覚はわかります。一方で、そういう人でも、ちょっと見方を工夫してみると「好きなこと」はいろいろ見えてくる、というのも実感しているところ。その一つの方法が、半年とか一年単位で生活のレビューをしてみることでしょう。ちょうど2004年が半分終わったところなので、今回はそういう視点で自分自身のレビューをして見たいと思います。

なお、本題に入る前に少し言っておきたいことがあります。com2MLでの発言を見ていて興味深いと思ったのが、「ライフ・デザイン」と言いながら、みんなの発言のほとんどが「キャリア・デザイン」の話になっていることでした。それを指摘すると「やはり自分の生活の中でその部分が大きいので」という声が返ってきました。その感覚はそれでよくわかるのですが、まずそうなっていること自体が一つの「選択」であるとは、意識すべきところだと思います。たとえばもっとそれ以外の時間を取る、あるいはライフ・スタイルを最優先にキャリアもそれに合ったものをさがす、金にならなくともやりたいこと(ライフワーク)をやれるように仕事(ライスワーク)を選ぶ、というのも考えられます。

■子育て−それ自体は好きじゃあない?

2004年前半に起きた変化でなんといっても一番大きいのはこどもが生まれたことです。2月に彼女が生まれて以来、僕らの生活は大きく変化しました。では、そこで新たに見えてきた「好きなこと」や「お気に入り」はあったのか。

まず、現段階(5ヶ月)では、こどもといることがすごく楽しいとか、育てることがおもしろいというようには感じていません。もちろんこどもがかわいいとは思います。何か新しいことをやり始めたと聞けば見に行くし、笑顔や眠っている様子もかわいいと思います。何か不思議なことがあると、「どうしてそうなっているのだろう?」ということへの興味はあります。睡眠を分断されたり、二人でいろいろ自由に動き回れる生活がしばらくお預けになっていることを考えても、こどものいる生活はいい、とも思います。でも、こどもと過ごしていると時間を忘れてしまうとかいう感じではないのですね。少なくとも乳児の面倒をみるのをいずれ仕事にしようとかいうことはなさそうです。

しかし、そんな中でもライフ・デザインに関連する「こういうふうにしたい」というのは出てきています。まず一つには、上のようなこともあるので「無理をしない」「自己犠牲はしない」ということ。こどもが大泣きしてもgirl friendはあやし続けるのですが、僕の方はしばらくトライして効果がないと判断すると、少し落ち着くまで一人で泣かしておくことにしました。そうでないと耳元でわめかれて、こちらの方がまいってしまい、結局お互いのためにならないと思うので。このスタンスは彼女が大泣きしなくなってからも続くのではないかなと思っています。たとえば子供の教育のために単身赴任をする父親がいます。でも僕の場合は、子供を最優先にすべてを決めるのではなく、それぞれある程度やりたいことを出来るように考えながら決めていくのではないかな、と思います。

しかし一方で、そういう今の間でも、一緒に過ごす時間を必ず確保したいと思っています。たとえば雨が降っていなければ毎日1時間くらい、こどもをベビーカーに乗せて散歩する時間があります。これは3人で続けたいと思っていて、自分の予定もそれができるようになるべく組もうとしています。これはこどもと過ごすことが目的なのか、girl friendと共有する時間をつくることが目的なのか、どちらかというと後者でしょう。

また、今のところは上のような状況ですが、こどもがハイハイしだしたり、言葉を発するようになったら、少し変わってくるかもしれません。自分が関わることで相手に明らかに変化が出てきたり、相手から学べるものが出てくるようになると違うかもしれないという気もします。その時にとりたいスタイルとしてはまず、自分がこどものために取りたいだけの時間を取れるようにしておきたい、と思っています。これからの数年間ほど、こどもについて大きな変化の起きる期間はないはず。そこに自分が関わることはきっといろいろな意味がある、と思っています。

そして、彼女にはいろいろな人に接しながら育って欲しいと思っています。日本人もいればアジア人もアフリカ人も欧米人もいる。こどももいれば年寄りもいて、頭の良さで勝負している人間もいれば、感性が売りという人も、体を動かして食っている人もいる、とにかくいろいろな人と接する機会を持たせたいと思っています。うちによく人を呼んでいるというのは今からその方向に動いている面もあり、ちょっとくらい泣こうが、いろんな人に抱っこしてもらおうとしている(^_^)のはそのあたりの意図があります。

■どういうところに住みたい?

さらにキャリアとは直接関係ない話が続きます(^_^)。今年の前半を振り返って「好きなこと」という意味で一番見えてきたのは、「どういうところに住みたいか?」ということだと思います。これにはもちろん、昨年の10月末に「住みたいところ」を意識して引っ越したことが大きく影響しています。

引越すに当たって考えていたことを詳しくはコミトン121「住みたい町を探す」に書いていますが、「東京より少し自然を感じられるところに住みたい」と「近所でおもしろい接触がある状態にしたい」というのが横浜・都筑に引っ越した主な目的でした。しかし、この時点では、本当に自分がそういうところが好きなのかは確信がありませんでした。ひょっとすると、そう思いたいだけかもしれない、とも思っていました。しかし実際に暮らしてみると、予想していたことはだいたい当たっていたな、と感じています。

まず、空がずっと広くなったのがよかった。窓からの景色の2/3は空だったり、朝日も夕日も家から見えるというのは、東京にいた時には想像できないことでしたが、実際に見えると、とても気持ちいいのですね。近所を歩いていて緑が多いのもお気に入りです。畑もあれば雑木林もあり、緑道(とても端から端まで歩けないほど長い)や原っぱもあります。朝早くや夜に外に出てみると、庭で野菜を育てていることもあって、緑のにおいや自然の音(虫の音だけでなく、植物が生きている音がする...気がする(^_^))がしてきます。

人と人との関係もより自然になった感じがして気に入っています。隣の人たちとは僕もgirl friendも垣根越しに時々話しこんでいます。庭の野菜を見て「よく育っているねえ」と話しかけられたり、うちでは食べきれないほどなり始めたキュウリを近所の人に配ったり。夕方、散歩をしていて農家の人と作物の育ち具合について立ち話をしたり、なんてこともあります。

単に人付き合いがあるだけでなく、国際色豊かなのも気に入っているところ。これは地域全体では期待していたもののこれほど近所でこうなるとは思っていなかったというレベルでした。隣のだんなさんはパキスタンから。彼の家の庭ではしょっちゅう、数人の人がやってきてバーベキューをやっていて、世界旅行でクウェートやトルコで見た風景を思い出させます。反対隣のだんなさんはナイジェリアから。自分の身は自分で守るという意識が徹底しています。裏は奥さんがドイツから来ていますが、日本人のだんなさんもドイツ語が出来て、ちょっと先の家のドイツ人のだんなさんとドイツ語で話していたりします。でもみんな、この環境にひかれてここに住んでいるらしい様子がうかがえ、庭に出てこどもと遊んでいたり、植物を育てていたりと共通の話題にはこと欠かない感じがします。

というように、ここに来て気に入ったことの中から自分の「お気に入り」が確認できた部分がまず、いろいろあります。一方で、気に入らないとか、何かが欠けていると感じるところから自分のお気に入りが見えてくる部分もあります。たとえば、家から100mくらい先、広い原っぱだったところにこの4月から中層のマンションの建設が始まりました。いつかはそうなるだろうと思っていたし、だからここにずっと住むこともないだろうとは思っていたのですが、それでも土木工事の車を見た時はかなりショックでした。そことの間にある畑は生産緑地なのでそう簡単になくならない安心感はあるものの、残念です。また、完成すれば人もかなり増えて様子がけっこう変わるでしょう。他にもあちこちで家が建ってきています。これらはいずれも「お気に入りとは違う環境だよなあ...」と感じて、結果として自分の好きなものがクリアになってきます。

また「もっと欲しい」と感じるところから、新たに見えてくる「お気に入り」もあります。たとえば今住んでいるエリアには田んぼがないのですが、近くに田んぼがあってカエルが鳴いていたりするといいなあと思います。生きた川(こどもが遊んでいたり魚が釣れたり..泳げたりしたら最高ですが)もあるといいよなあとも思います。自分のものという意味では、すでに庭の菜園では飽き足らなくなってきていて、40〜100平米くらいあると、菜園ももう少し広げられるし、こどもが遊んだりバーベキューをやったりするスペースも出来るしいいよなあ、と思います。この「もっと欲しい」は上の二つ−「気に入った」「気に入らない」に比べると、想像の世界なので、本当に欲しいのかどうかは体験してみないと確信できないところでもあります。

というように、引っ越したことで、自分のお気に入りというか、自分の住みたい風景がいろいろ見えてきています。一言で言うと僕が住みたいのは「トトロの住む村−ちょっとエキサイティングな」なのでしょう。映画「となりのトトロ」やその他のスタジオジブリ作品に出てくる、かつての日本の田園風景とそこに住む気持ちのよい人々の中に住んでみたい。と同時に、日本全体や世界とつながっている人々の中で、これからの世界のあり方を実験していくような場に住みたい、というのがよりクリアになってきています。

ここで難しいのは次のようなことです。一般的には、田園風景が減らないような地域には人の活気があまりなく、人の活気があるところでは自然がどんどん減るというように、自然と人の活気とはこれまで、反比例の関係にあります。それをなんとかちょうどよいところでバランスさせられないか、自分がそこに一役買うこともできるんじゃないか、と考え出すと、またここに「やりたいこと」がかいま見えてきます。自分が欲しいもので今世の中にあまりないものをつくるトライをしてみる、そのプロセス自体を楽しんだり、「それ欲しかったんだよ」と言われるとうれしくなる、というあたりです。

■やりたい教育とは?

次はようやくキャリア、というか仕事に関係のある話です。英語教室「英語のシャワー」を立ち上げてから、まもなく3年になろうとしています。その前にも6年間、関わっていたのは教育でした。これだけの期間取り組んでも今のところ飽きる様子がないのは、教育が自分の好きなことなのでしょう。しかし「好きなことは教育」と言ってしまうと、自分をPRするためにも、本当に好きなことをつかまえるためにも、ちょっと広すぎます。そこで、ここ半年を振り返りながら、どういう教育をやりたいのかを考えてみることにします。

ここ半年で特に「うれしい」「楽しい」と感じたのはまず一つに、壁にぶつかった人たちがそれを乗り越えたことです。英語の本を読むのは抵抗なかったのに聞き取りがうまくいかないとか、どちらもだいじょうぶだったのに、話そうとしたら全然言葉が出てこなかったといった人たちがいました。この人たちがそれぞれのハードルを乗り越えられた時、これはうれしいと思いましたね。もちろんみんながずっとスムーズに行っているのもうれしいんですが、壁にぶつかった人が乗り越えられた時には、まるでその壁が土台となってその人の力の厚みが増すような感じがします。特にコミュニケーションにおいては痛みや苦しみを知っていることが相手に響いていく気がするのです。

ただ、こういう人たちがたくさんいるほどうれしいかというと、限度があるよう。多すぎると、こちらも疲れてしまったりするので、そういう意味では寝食を忘れてやれる「お気に入り」というより、ある程度必要な要素というものなのかもしれません。しかしいずれにせよ、優秀な人だけを集めて教育したいとか、逆に落ちこぼれをとにかく救いたいとは思わないよう。いろんな人がそれぞれ得たいものを得られる場をつくりたいと思っているようです。

二つ目に「楽しい」と感じているのは、みんなが「楽しい」と感じているのを見ることです。日本では勉強というのは大変なもので楽しいものではないと捉えられていると思います。でも本当は英語に限らず楽しいものに出来るはず。それをいろいろな形で試みていますが、僕の場合は「考えたり理解することっておもしろい!」とか「これまでと違ったことができそうだとわかってうれしくなった」という状態をつくりだせると自分も楽しめるようです。たとえば異国からのゲストを連れてきて一緒に話をしたら自分の世界が広がったとか、自分自身について理解が深まって「楽しかった」と言われるとうれしい。あるいはクリシン道場で論理思考を駆使してみて、これまで見えていなかった道が見えてきた、となるとうれしい、という感じです。

三つ目に「楽しい」と感じているのは、自分も何かを学べた時です。たとえば少し前に英語のクラスで映画「ラスト・サムライ」を題材にディスカッションをしたことがありました。これがとてもおもしろかったのだけど、それはみんなが「おもしろかった」と言っているからだけでなく、自分自身にとって「日本人が持っていた良いものを維持し続けるには?」ということを考える機会になったからでした。

さらに、この「自分も何かを学べてうれしい」という後ろには、「学ぶというのは本来、自分でやるものだ」という思いがあるのかもしれません。特に、姿勢とか考え方といった部分について、知識を得るよりもそちらを得る方が重要だという思いと、しかしそれは教わるものではなく自分で獲得していくものだという思いがありそうです。その結果、自分のやりたい教育とは、そこに来る人(教える人も教わる人も)が能動的に動いて、時に試行錯誤もしながら学んでいく場なのではないかなと思います。

これに四つ目として、以前から「やりたいこと」だとわかっていることが合わさると、だいたい自分のイメージしている「教育」が出来てきます。四つ目とは、学びの場で人がつながり、いろいろな新しいことがその先起きていく、輪が広がっていく、ということ。たとえば受講生が外国人とともだちになり、その人をクラスに連れてくることでお互いの国についての理解が深まるかもしれない。あるいは困っていることや、やりたいことをサポートしあい出すかもしれない。

■ライフとキャリアがリンクする

実は上の「やりたい教育」は、たまたま英語教室を中心に起きているだけで、「トトロの村」や「食える緑」にも関わりうると思っています。たとえば地域の大人や子供がいっしょになって「食える緑」を体感し、そこから何かを学んでいける場をいずれ始められるとおもしろそうだよなあ、と思っています。ある程度の人が学んだ結果、農家の高齢化で消え行きそうな農地が生き続けて地域と今以上につながったりしたら、よさそうだよなあとも思ったりもします。また、トトロの村に他の領域−たとえば世界情勢や物理に強い人がいたら、そういう教室を開催してもおもしろいかもしれません。そこでももちろん、楽しく、みんなでいっしょになって学ぶ、と。

その教室/塾をビジネスとしてやれるのか、それともNPOとしての活動になるのか、それはどちらでも、やりやすい方でいいんじゃないかと思っています。しかし直感的には、全部ビジネスでも全部NPOでもなく一部がビジネスで、あるところからは金とは関係なしにやっている、そのすべてが自分のライフ・デザインの中で意味を持っている、というようになる気がしています。

どうでしょう? ライフ・デザインがキャリア・デザインばかりではないことを感じ取ってもらえたでしょうか。しかし、上のようなライフ・スタイルは、僕が自分で顧客を集めてビジネスを出来るだけのものをたまたま持っているから出来ることで、普通の人には無理じゃないか、という人もいるかもしれませんね。でも、僕はそうでもないだろうと思っています。たとえば、沖縄がすごく気に入って沖縄に住みたいと思ったら、それが出来て、かつ楽しめるキャリアを考えればいい。家族とどんな時間の過ごし方をしたいというのがあったら、それが可能な仕事の仕方を探せばいい。そしてそのために力を培っていけばいい。「それではキャリアとしてなかなかおもしろいものにならない」と思いますか? でも、ライフスタイルがお気に入りのものなら、それに関わるキャリアもけっこうおもしろいものになりうると思いませんか?

 

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Toshi/高橋俊之(たかはしとしゆき)。知恵市場代表。株式会社グロービス執行役員、グロービス・マネジメント・スクール(GMS)統括責任者を経て、2001年7月からフリーランスとして活動。知恵市場の他、使える英語を楽しく習得する「英語のシャワー」を主宰。GMSクリティカルシンキング講師もつとめる。著書・監修書に「テクノロジー・パワード・リーダーシップ」(ダイヤモンド社)、「ビジネスリーダーへの キャリアを考える技術・つくる技術」(東洋経済新報社)。

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